メッセージ(バックナンバー) | ||||||||||||||||||||
2005年03月30日 ◆ 卒業のご挨拶 お久しぶりです.3月25日に卒業式があり,無事に博士(工学)の学位を取得することができました.長かったですが,3年間で学位を取得できたのでホッとしております. お世話になった総ての方にこの場を借りてお礼を申し上げます. 4月から,ようやく社会人になることができます.4月からの所属は,機会があればこのページで,機会がなければ別のどこかのホームページ(検索してください)でお知らせできると思います. 今後ともよろしくお願いいたします. 2005年01月28日 ◆ 通勤電車における日常と非日常 毎日,自宅から会社や学校へ向かって通勤・通学する.これは私たちの毎日繰り返す,最も日常的な行動でしょう.私も毎日電車で大学まで通学しています.この中で,ときに,日常と非日常の混在を強く意識させられる場合があります.それは,普段,絶対に乗ってこないような人が電車に乗ってきたときです. その最たるものが,旅行に行く人たちです.旅行に行く人たちは,非日常の愉しみのために電車に乗ってきますので,服装なども通勤・通学の人とはかなり違います.そして,かなりハイテンションです. しばらくすると,別の駅でお連れの友人たちが乗ってくることがかなりの割合であります.そのときは,電車が止まる前から友人たちに気づいてもらおうと,席から立ち上がったり,手を振ったりしています.電車が止まってからは,なんとか確保しておいた席に早く座ってもらおうと,大きなジェスチャーで呼びます.通勤の人が早くその席に着いてもお構いなしです.そして,目的地に着くまで,ずっと楽しそうに話をしています.朝も早いですので,電車の中で寝ていたいときもあるのですが,旅行者を避けて座るのは結構難しいのです. 2005年01月17日 ◆ 広島 先日,学会で広島へ行ったときのことである.夕方,少し時間があったので,平和記念資料館へ立ち寄った.実は,資料館に立ち寄るのは3回目,入館するのは2回目である. 1回目に入館したのは,高校生のときだったが,そのときにひとつの展示品を見逃していて,どうしてもそれが気になっていた.数年前に広島で学会が開催されたときにも資料館の前には来たのだが,他の人と一緒だったので素通りしただけだった.ようやく今回再訪の機会を得た次第である. 見逃していたのは,著名人のメッセージの展示であり,総ての展示品の最後にあるらしいことは,高校生のときの記憶で知っていた.今回も一通り展示を見たあとに,最後に係の人に忘れずにたずねて,ようやく見ることが出来た. 場所は資料館の有料の展示コーナー(有料といっても50円ですが)を出てすぐのところだったので,これなら入館せずに後ろから回ったほうがはやいくらいであった.メッセージはサインだけの人もいれば,いくつかコメントを添えている人も居た.特別に感動的なメッセージが記憶に残っているわけではないが,ようやく気になっていたことが,10年以上の年月を経て解消した. 2005年01月09日 新年あけましておめでとうございます.本年もよろしくお願い申し上げます. 皆さんは今年の目標は何か決めましたか.私も少し決めましたが,内容は秘密です. 今年の新年早々の驚きは,1月2日にも年賀状の配達が行われることになったことです.今までは,正月の楽しみが1月2日に途切れるのは残念だったのですが,もう1日余分に楽しむことができるようになったのは喜ばしいことです.これも郵政改革の一環でしょうか,よく分かりませんが. もう一つ,最近は偽札が出回っているというニュースが多いのが気になります.やはり,昨年11月の日本銀行券の一新は意味があったのだと思いました.外国では偽札,偽コインが深刻な問題になっていることを意識する場合があり,日本ではそういう問題が少ないことを誇りに思っていたので残念です. 外国で偽札,偽コインが流通していることを意識させられた事例を列挙します.イギリスでは,古い1ポンド硬貨を偽硬貨だと難癖をつけられ受け取りを拒否されました.イタリアでは,高額紙幣を使うとき,レジで偽札判別機にかけられました.フランスでは,銀行でトラベラーズ・チェックを換金するときに,受け取りを店で拒否されるのが嫌なので高額紙幣を混ぜないように頼みました.日本では,そんな日が来ないことを望みます. 2004年12月29日 本年も,三古展弘のホームページをご愛顧くださいまして,誠にありがとうございました.今年ももうすぐ暮れようとしております. 齢を重ねるにつれ,正月がそんなに重要なものであるとは思えなくなってきました.しかし,年末年始にしかしないこともたくさんありますので,やはり普段とは少し違う感じがします. 私にとって,正月の一番の楽しみは年賀状です.私は昔から年賀状の交換をするのが大好きで,年に1回,年賀状でしか連絡を取らない友人や知人が何人もいます. メールでも数ヶ月に一度程度しか連絡をしない友人もいるのですが,先日メールをしたところ,数人とは既に連絡がつかない状態になっていて,残念な思いをしました.メールアドレスは比較的頻繁に変更されることが多いためでしょう. 定期的に連絡を取り合う年賀状は,糸のように細い関係でも,連絡を取ることが出来る状態は継続できる良い伝統だと思ったものです. それでは,皆様もよいお年をお迎えください.私が送る年賀状にはこのホームページのアドレスが印刷してあります.年賀状を受け取った方は,機会があればこのホームページも覗いてみてください.4月になると所属が変わるかもしれませんが,「三古展弘」で検索していただければ,多分見つかるはずです. 2004年12月20日 ◆ 同じ電車で10年間 私は毎日,最寄駅を午前6時35分に出発する電車に乗って通学しています.浪人時代,学部,博士前期,博士後期と合計10年間同じ電車です(正確には途中1年間の留学期間があるため,最近11年間のうちの10年間同じ電車に乗っていることになります).乗車する車両も先頭車両に決まっています.途中の数年間は座る位置まで決まっていました.なぜ,そんなに早い電車に乗るかというと,席に座るためです.この10年間で席に座れなかったのは5回程度だと思います. 10年といえば相当長いです.隣に座っている高校生も,私がこの電車に乗り始めたころは,小学校にも上がっていなかったかもしれません.ですから,電車に乗っている人の顔ぶれも随分変わりました.4月になればニューフェースがやって来ますし,ちょっと前まで見た顔がしばらくすると消えていることもあります.同じ電車に乗って毎日顔を合わせていると,何か少し親近感みたいなものが自然に湧いてくるのは不思議です.帰りの電車でも,朝の電車で一緒の人と会うと,話したことが一度もなくても,知っている人に会ったような心持ちがします.また,普段見慣れない顔があると,たとえ年上の人であったとしても,新入りか,と思う気持ちが少しはあるものです. その間に,電車の中の環境も随分変わりました.10年前には携帯電話はほとんど普及していませんでした.つまり,車内で呼び出し音が鳴るようなことは全くありませんでした.今も,朝はあまり鳴らしている人は居ないのですが,呼び出し音が鳴ると寝ている人はとても迷惑そうです.ウォークマンも通勤電車の中の必需品かもしれません(そういえば,以前はウォークマンから漏れる音が迷惑だという議論もあったことを思い出したのですが,最近は携帯電話が話題の中心であまり聞かなくなりました).最初はカセットが主流だったのですが,CDやMDなどどんどんと新しいタイプのものが出てきました.これからも電車内の環境はどんどん変わっていくことでしょう.また,そのたびごとに電車内のマナーについても議論されることでしょう. 2004年12月13日 メッセージの更新の間隔が随分開いてしまいました.メッセージの原稿は出来上がっていたのですが,更新する時間がありませんでした. 先月より,日本銀行券のデザインが一新されるということで,20年前の記憶を思い出しました. 前回の日本銀行券の一新は昭和59年11月1日でした.今も私の手元にはS.59.11.1と小学2年生当時の私が自筆した東海銀行(UFJ銀行の前身の一部)の封筒があって,中にはその日に貰ったか,両替して貰ったと思われる1000円札(夏目漱石)と5000円札(新渡戸稲造)があるのですぐに参照できるのです.今ならインターネットで調べればすぐに分かるのでしょうが,当時はそんなことは全く想像できなかったので,きちんとメモしておくことが大事だと思ったのです. その日を境に,それまで使っていた岩倉具視の500円札,伊藤博文の1000円札,聖徳太子の5000円札と聖徳太子の10000円札がだんだん消えていきました.ただし,昭和57年に500円硬貨が登場したので,500円札は昭和57年から発行されなくなったのかの記憶は定かではありません. 私は岩倉具視の500円札は結構好きでした.保育園や小学校2年生くらいまでは,大金には縁がないので,いちばんよく接した紙幣でした.色はやや深い青色で裏に富士山が描かれていて綺麗だと思ったものです.伊藤博文の1000円札くらいは結構目にしましたが,聖徳太子の5000円札と10000円札はほとんど接する機会がありませんでした.そもそも,5000円札を使わないとできない買い物など,あまりする必要もありませんでした. 昭和59年には,最高額の紙幣が聖徳太子でなくなったことが大きな話題になりました.最高額の紙幣の肖像画は聖徳太子の指定席だったからです.近いうちに50000円札や100000円札を発行する予定でそのために準備しているのでは,という噂をよく聞きました.また,紙幣に点字が初めて導入されることも話題になり,紙幣のサイズが以前よりも小型化されることも紹介されていました. お金のデザインや,お金に関する考え方は国によっても違っていて結構面白いと思っています.このことについては,またの機会に書きたいと思います. 2004年09月21日 こんにちは.大分涼しくなってきましたが,いかがお過ごしですか.新学期が始まり電車も混むようになってきました.電車に乗って通学すると,学期の変わり目などには敏感になるものです.さて,日本選手が大活躍したオリンピックも終わり,パラリンピックが始まりました.そこで,今回は,オリンピックについて書きたいと思います. いま,私の手元には8月13日(金)付けの日刊スポーツがあります.なぜ,そんな古新聞を保存しているかというと,その中に「日刊スポーツ全301種目金メダル総力予想」と名付けた特集があって,結果が出てからその予想をチェックしてみようと思ったからです.だいたい,こういうものは大目に予想しますので,現実よりもかなり大きく外れると思ったのです.紙面の中でも「期待を込めた数字」と断っています. さて,気になる予想のほうは金19個,銀9個,銅20個となっています.私はこの記事を読んだときには,近年のオリンピックでは日本が2桁の金メダルを獲得したのは稀であったことを知っていますので,かなり大目の予想だと思いました.記事の中でも日本オリンピック委員会(JOC)の情報戦略部会は金メダルを3から9個と予想していると書かれており,専門家の間でも2桁の金メダルを獲得することは期待していなかったようです. ところが,今回のメダル獲得数は驚きで,日刊スポーツの予想が相当当たっています.このオリンピックで日本は金16個,銀9個,銅12個のメダルを獲得しています.柔道は男子で3,女子で5というのは階級の違いはありますがぴったりの予想です.それにしても,どうして今回の日本選手はこんなにメダルを獲得することができたのでしょう.前回までの数回のオリンピックと今回のオリンピックでは何か決定的な違いがあるのでしょうか. そんなときに,あるウェブを見ていたら日本チームのオリンピック強化に関するプロジェクトがあるという情報を得ました(オリンピック後になって,このプロジェクトの名前をよく耳にするようになりました).首相官邸のホームページを見ると(こちら),確かにそういうプロジェクトはあって,そういえば聞いたこともあるかなあ,という感じがします.選手強化の国家的なプロジェクトが成功した,といってしまえば政策的に大成功なのでしょうが,それだけで片付けられてしまうのも何か納得がいきません.他にご意見のある方は教えていただければ幸甚です. さて,個人的には今回のオリンピックで最も驚いたのは体操男子団体の金メダルです.体操男子団体はなぜかいままでのオリンピックでも結構見ていた記憶があって,少し前までは辛うじてメダルを獲得することができていたものの,最近はメダルからも離れてしまっていたことは知っていました.その凋落ぶりが,私の中ではバレーボールの最近の不振と重なってしまっていて,今回のオリンピックでも団体でメダルを取ることができるとは全く思っていませんでした.こういう予想外の大活躍は,予想された大活躍とは違った嬉しさがあります(ちなみに日刊スポーツは銀を予想).そのほかにも,山本貴司選手や阿武教子選手など,長い間頑張ってきた選手が,3度目の正直でようやくメダルを獲得できたのも,うれしく思いました(ちなみに日刊スポーツは銀と金をぴったり予想).オリンピックで活躍した選手(メダルを獲得できた選手もそうでなかった選手も)の陰にある努力を想うとき,総ての選手がとても立派に見えたものです. 2004年08月26日 毎日電車に乗って通学していると,その往復で様々な日常のひとこまを見ることができます.今日はそんなひとこまをお届けしたいと思います. ◆ 日常のひとこま 夕刻の駅のコンコースは夏休みといっても多くの通勤帰りの客でごった返しています.その中を一人のご婦人がこちらへ向かって歩いてくるのが目に付きました.年は40代くらい.仕事の帰りと言った様子です.白いスーツに身を包んでおり,ハンドバッグのほかに,白いビニール袋を手に下げています. そのとき,ご婦人の手にしていたビニール袋から割り箸が落ちるのが見えました.ご婦人は全く気づいていない様子です.周りの客も全く気づいた様子はありません.私はハッと思いましたが,混み合った駅の中では自由に身動きを取ることができません.ご婦人は足早に私の数メートル横を通り過ぎていきました. ビニール袋の中には,先ほど買ったばかりの弁当か何かが入っているのでしょう.このあと,すぐに食べるつもりだったのかもしれません.箸を入れてもらうように店員さんに頼んでいたのかもしれません.箸が入っていなかったと気づいたときにこのご婦人はどう思うのでしょうか.店のサービスが悪かったと思うのでしょうか,店員のミスだと思うのでしょうか.今度,そのご婦人が店に文句を言いに行ったとしたら,店員は黙って謝るのでしょうか.そんなことを考えた日常のひとこまでした. 2004年08月09日 厳しい暑さが続きますが,いかがお過ごしでしょうか.私は冬よりも夏のほうが好きです(昨年の冬に「夏のほうが好き」と言ったところ,「そういうのは夏に言わないとだめですよ」と研究室の後輩に言われたので夏に言います).しかし,今年の暑さは特に厳しく感じます.それでも昨年12月に地下鉄が名古屋大学前まで開通したため,夏の暑い中の徒歩時間が10分程度短縮されました.これにはずいぶん助かっています. ◆ 参議院議員選挙(1) 選挙権の行使は義務か? 第20回参議院議員選挙が7月11日に行われました.当日は研究室旅行がありましたので,私も1週間前に期日前投票を済ませました.期日前投票は土日も含め夜8時まで行われていましたので,当日,都合の悪い人にとっては,かなり投票しやすい制度だと思いました. 選挙で投票することは,日本では20歳以上の男女に与えられた権利です.では,権利を行使するのは義務なのでしょうか.選挙権は権利であるから,自らの意思で行使してもよいし,行使しなくてもよいと考える人もいるでしょう.これについて,以前見かけた,大リーグのフリーエージェント(FA)制についての記事が興味深かったので紹介します. 大リーグのFAの権利は選手会が長い年月をかけてようやく獲得した権利です.ですから,選手は他球団に移籍する意思の有無に関わらず,ほぼ例外なく,その権利を行使するそうです.選手が必要であると主張してようやく認められたFA権を,権利が与えられたときに行使しないのは,その権利が必要でないということを部分的にでも認めることになるからです. 必要であるから権利を要求し,その権利が与えられたときには必ずそれを行使して,その権利が必要であることを継続的に主張していく.そんな筋の通し方もあると思い感心しました.日本ではFA権は行使してもしなくてもよい,という考え方のほうが強いと思いますので,随分違うものだと思いました.選挙権も必要なものですから,なくなってしまえば大変です.継続的にその必要性を示す必要があるかもしれません. (注)この大リーグの話は新聞記事を読んだという私の記憶に基づくものです.Webで類似の情報がないか検索しましたが見つけることはできませんでした.情報をお持ちの方はご一報いただけると幸いです. ◆ 参議院議員選挙(2) 比例代表選挙制度改正の意味 2001年の参議院選挙より比例代表選挙の制度が改正されました.以前は,政党が比例代表候補の名簿順位を決め,有権者は政党名のみで投票し,各政党の得票数に応じて名簿上位から順に当選が決まるというものでした.新しい制度では政党は比例代表の候補者のみを決め,その順位は決めません.有権者は政党名か比例代表候補の候補者名のどちらかで投票します.各政党の得票数(政党名での得票と候補者名での得票の合計)に応じて各政党の当選者数が決まります.具体的な当選者は,候補者名での得票数の多い候補者から,各政党の当選者数までです. 今回注目したいのは,有権者が比例代表において政党名か候補者名のどちらで投票したか,ということです.政党名での得票の割合を政党別に見ると,自民党69%,民主党82%,公明党29%,共産党87%,社民党69%となっています.公明党を除いてほとんどの党で政党名での得票が大部分を占めています.つまり,自民党に投票した人のうち69%の人は政党名しか書いていないので,自民党を支持しているが,自民党の誰が当選するかは,自民党候補者名を投票した残りの31%の人に任せているという態度です.民主党に投票した人の場合には,82%の人が残りの18%の人に誰が当選するかを決めてもらっています. 以前の制度では比例代表の名簿順位の決定が当落に大きな影響を与えるので,大きな弊害があったそうです.ただし,一つの見方として,各政党の中で誰が当選するかの決め方は,以前は政党が決めていたものが,有権者のわずかな人が決めるように変わっただけかもしれません.有権者は政党名のみ書けばよいのか,候補者名まで書いて最大限の権利を行使すべきか,考えさせられる問題です. ◆ 地方交付税交付金 最近では市町村合併の議論が盛んになり,地方交付税の引き下げが多くの自治体にとって,市町村合併を進めるモチベーションになっているようです.そんな折,地方交付税交付金の交付額が発表されました.私の住んでいる,愛知県知多郡武豊町は今年も普通交付税の不交付団体になりました.不交付団体は税金による収入が十分あるために,交付税の交付が必要でない団体だそうです. 私は武豊町が地方交付税交付金を受け取っていないことは知っていましたが,全国において不交付団体はとても少なく,47都道府県のうち1つ(東京都)のみ,13政令市のうち1つ(川崎市)のみ,政令市を含む3100市町村のうち133しかないということは知りませんでした.ほとんどの市町村が受け取っている地方交付税交付金を,人口4万人程度の武豊町が受け取っていないというのは少し誇りに感じます.来年,武豊町に住んでいるか分かりませんので,今のうちにとりあえず紹介です. なお,地方交付税交付金の不交付団体についてはこちら,武豊町についてはこちらをご覧下さい. ◆ 当たり前のこと 最近,街中に電光掲示板が増えてきました.地下鉄の駅にも,電車の中にも電光掲示板が設置されている場合があります.そのような掲示板は,本来の目的である列車案内のほかに,新聞の見出し程度のちょっとしたニュースも流してくれています.だいたいのメニューは,政治,経済,社会,国際などのいわゆる新聞の一面に載りそうなかたいニュースのほかに,スポーツ速報,天気予報などです. そこで出てくるスポーツ速報は,たいていプロ野球の途中経過か大相撲の結果が定番です.私も当たり前のようにそれを見ています.サッカーのニュースなどはJリーグの優勝が決まったりすれば流れるでしょうが,それはスポーツニュースとしてではなく,世の中の出来事の1つという程度の扱いになるでしょう. しかし,プロ野球の途中経過が当たり前のように流れる状況が永遠に続くのは幻想かもしれません.いずれ,プロ野球速報に誰も興味がなくなり,ニュースとしての価値がなくなる日もくるかもしれません.現に,プロ野球中継の視聴率も下がってきていると聞きます.最近はプロ野球の1リーグ制への議論が盛んですが,ファンに見放されては,プロスポーツは終わりです.これだけの多くのファンがいるという状況が永遠に続くとは思わず,十分に議論を尽くしてほしいと思います. ◆ あとがき 今回は,長めのメッセージになりました.またの機会にお会いしましょう.ごきげんよう. 2004年07月05日 梅雨に入り,蒸し暑い日も増えて来ましたが,いかがお過ごしでしょうか. 既にお気づきかもしれませんが,私の所属する森川・山本研究室にも愛称が出来ました.それはNU TRENDというものでNagoya University TRansportation and ENvironment Dynamicsの頭文字から取ったものです.NU(=New)は新しい,TRENDは動向や流行という意味の英単語に通じています.愛称を決めるときには,まず,研究内容に関連する英単語を思い浮かべ,その頭文字を組み合わせて新しい英単語を作りました.その新しい英単語も研究室を表現するのにふさわしければよいのですが,これはかなり難しいものです.英単語にすることだけでも難しいのですが,1つの英単語も複数の意味を持つことがありますので,辞書に俗語としてふさわしくない意味が載っている場合には却下されました. 組織の名前を決めるのは,今日のような国際的な社会では難しくなっています.日本企業でも外国に商品を輸出する場合には,企業名が日本語だけでなく輸出先の言語でもふさわしい意味を持つことが必要です.企業名はそれ自体がブランドとしての価値を持ちますから,国ごとに企業名を変えることは宣伝費用の観点からも非効率です.スタンダードオイル社が社名を変更する際に,最有力の候補であった「エンコ」は日本語で故障につながるため,「エクソン」にしたということは,この問題を事前に避けた事例としてよく紹介されます. さて,名前に関して私事で恐縮ですが,少しお話をさせていただきたいと思います.先日,研究室の留学生が私の名前の「展弘(のぶひろ)」に中国語で特別の意味があるということを教えてくれました.それは,「大展宏図(Dazhan hongtu)」という言葉で「宏図」は「弘図」とも書き,「大展宏図」は「大展弘図」と書いても同じ意味だそうです.この言葉の意味は,辞書によれば「@すばらしい才能を発揮する.A高遠な事業の前途を大々的に発展させる;人の開業を祝う常套語」です.また,「宏図(=弘図)」には例文として「立大志,展宏図(=立大志,展弘図)」として,「大きな志を立て,遠大な計画を推進する」とありました.名前を付けたときにはこのような言葉は知らなかったと思いますが,嬉しいことに中国語では良い意味の成句の一部になっていることが分かりました.「立大志,展弘図」となれば素晴らしいと思いました. ちなみに,名字の「三古(さんこ)」も漢和辞典,中日辞典に載っています.「三古」を調べると「@上古・中古・下古(近古)A伏羲・文王・孔子(漢志注)B伏羲・神農・五帝(礼記,礼運疏)」と書いてあります.「@上古・中古・下古(近古)」は古代を3つの時代区分に分けたときの呼び名です.それ以外についても以前調べたことがあるのですが,資料が残念ながらすぐに取り出せるところにありません.ただし,これが名字である理由は全く不明です. (注) 簡体字中国語は対応する日本語の漢字に置き換えています. (参考資料) 長澤規矩也編著:三省堂漢和辞典第3版(中型版),三省堂,1985. 北京・商務印書館,小学館共同編集:中日辞典,小学館,1992. 大東文化大学中国語大辞典編集室編:中国語大辞典,1994. 2004年05月17日 既に,2004年も5月に入りました.今年は博士課程(後期課程)の最終年であり,時間管理がより大切になります.そこで,今年に入ってから,毎月の月末に,1年の12分の1が経過したことを意識するようにしています.しかし,それでも既に4ヶ月以上経過したことは,とても早いものだと思います. さて,今日はスポーツにおける強さの決め方について考えたいと思います.それは大きく,1)1つの試合における強さの決め方,2)複数の試合の組み合わせによる強さの決め方,に分けられると思います.プロ野球を例に取ると,1)はある試合における1回から9回(延長の場合もあり)の中での勝敗,2)は140試合のペナントレースを総合しての優勝チームの決定,がこれにあたります. ここで注目したいのは,スポーツのルールが1)においても2)においても大変によく変わることです.1つの試合における強さの決め方でも,バレーボールのラリーポイント制の導入,ラグビーのトライの点数を5点に変更,など多くが挙げられます.また,複数の試合の組み合わせからなる強さの決め方も,プロ野球を例にとってもプレーオフ制度の導入,2シーズン制,勝率を計算する際に引き分けを0.5勝0.5敗で計算,勝ち数と勝率の両方の基準を採用,などめまぐるしく変化しています.また,サッカーでも勝ち点の変更などが行われています. このような制度の変更は,その時々の事情がありますが,多くはより興味のある試合展開,シーズン展開にし,ファンをより引き付けることを意識するものが多いようです.しかし,なかなか永遠に変更する必要のない完全なルールというものは難しく,今後も常に変化しつづけることでしょう.スポーツは完全なルールの元で勝敗を決するものではなく,その時々に決められたルールの中で勝敗を決していくものであることが良く分かります.今回は特に触れませんでしたが,選手交代の制限や道具に関する取り決めなども入れれば,数え切れないくらいの変更があります. 2003年12月29日 師走に入り,今年も終わりが近づいてきました.正月のことがついこの間のように思い出されると,1年は本当に早いものだと感じます.それと同時に,「この1年間に何をしたのか」と考えると,さして何もできなかったのではないか,という気もします. さて,このホームページのメッセージも月に1回の更新ペースを維持できず,これが今年3回目の更新で,今年最後の更新になる予定です.途中更新しようと書き始めたこともあったのですが,「こんなことをやっている時間があるのなら,進んでいない研究を進めるべきではないか」などと思って,書き終えることができなかったのが原因です.あまりに更新しないので,代筆したいという申し出もあったのですが,それも実現しませんでした. その中で,途中まで書いた原稿を元に(既に見当たらないため,思い出しながら),いくつかメッセージを書きたいと思います. ◆立浪選手2000本安打達成 立浪選手が若くして(33歳)2000本安打を達成し,名球会入りを果たしました.2000本安打と言えば,超一流の証であり,タイトルを何回も取るような大選手であっても,引退間際にようやく達成できるような大記録です.しかし,これまで立浪選手は,何回か3割を打ったことがあるものの,毎年3割を打つような選手ではなく,どちらかと言えば,「知らないうちに,思いのほか多くのヒットを打ってきた」という印象の残る選手ではないでしょうか. それでは,どうして,もっと打っていると思うような選手が意外とヒットを打っていないのでしょうか? その最大の原因は,「何年もコンスタントに活躍する」ことがとても難しいからだと思います.プロ野球の世界で1年間だけ大活躍する選手は何人もいますが,その中でコンスタントに何年も活躍することのできる選手はとても少なく,中でも怪我なく10年・15年と活躍する選手は稀だからです. そのような意味で,10年以上も怪我なくコンスタントに活躍してきた立浪選手は,間違いなく超一流であり,大変評価されるべきことだと思います.しかし,立浪選手であれば,もっとできるのではないか,という気も少ししてしまいます.これから毎年3割を打つような選手になれば,もっと素晴らしく,球史に残る大打者になると思います. ◆阪神タイガース優勝 阪神タイガースが18年ぶりに優勝しました.私も野村克也が阪神の監督になってから阪神を応援し始め,今年が5年目でした(野村克也が監督をやめても,その後他球団を応援する気にならなかったので,引き続き応援していました).今年の阪神はシーズン中,とても強いように見受けられました.試合を見ていると,強いチームならこのイニングで点を取るだろうな,と感じることがあるのですが,今年の阪神はそのような場面で実際に得点することが多かったと思います(残念ながら日本シリーズでは,そのようなイニングで無得点のことが多かった). しかし,このような強そうに見えるチームは本当に強いのでしょうか? 私は,優勝は勢いだけですることも可能なものであり,真の強さを反映したものではないと思っています.それは,過去にもそのシーズンだけすごく強いチームがあったからです.本当に強いチームというのは連覇のできるチームだと思います.2年続けてチームの選手が平均して同様の活躍ができるのか? 衰えていくベテラン選手を補うほどの選手層の厚さがあるのか? 他のチームからマークされても同じような戦い方ができるのか? そこに本当の強さが求められると思います.来季の阪神タイガースの戦いぶりに注目です. 最後になりましたが,今年も「三古展弘のホームページ」ご愛顧ありがとうございました.カウンター設置1年半で既に15,000アクセスを突破しました.来年も,どうぞよろしくお願いいたします. 2003年4月14日 4月になりすっかり春らしくなってきました.春になるとスポーツも盛んになるわけで,私も草野球を再開しています.実は2月から試合はあったのですが,暖かくなってきた最近になって,ようやく野球シーズン到来という実感が沸いてきます.当然,野球中継をはじめとするテレビでのスポーツ中継も増えてきます. ところで,先日気づいたのが,ゴルフ番組の多さです.ゴルフ番組自体が多いことは前々から気づいていたのですが,特に気づいたのがレッスン形式の番組の多さです.他の競技と比較したときのその多さは驚くほかありません.野球やサッカー,相撲といったスポーツのほうがトータルではゴルフよりも多く放送されているかもしれません.しかし,レッスン形式の番組がこれほど多い競技も稀でしょう. ゴルフは,野球やサッカーなどと違って,高校などまでに練習する機会が少なく,自習しようと思う人が多いスポーツである.個人競技であるため,自ら練習する気になりやすい.素人とプロでも適切なハンデをつければ面白い勝負を演出することができるため番組として成立しやすい.このようなゴルフ独自の特色があるのかもしれません. 類似の競技にボウリングが考えられるかもしれませんが,ゴルフほど盛んではないようです.ゴルフには他のスポーツとは違う何か不思議な力があるのかもしれません.ただし,私はゴルフはしていません. 2003年1月14日 あけましておめでとうございます.今年もよろしくお願い申し上げます. さて,2002年の年末で私も留学から帰ってきて,1年が経ちました.それでも,留学をしていたのが遠い昔のように感じられます.10年くらい前だったような気もしますし,あるときふと,そういえば留学していたんだよなあ,と思い出します.最近留学から帰ってきた,ある人にも伺ったところ同じような感想を持っておられました.それだけ長年慣れている日常の存在がすごいということなのでしょうか?留学中に他の留学生とも話をしたのですが,ある人は留学先には自分のルーツがないからではないか,と言っていました.その通りなのかもしれません. さて,今年も正月が来ましたが,年々正月が特別な存在ではなくなってきているような気がします.それは年を取ったからかもしれませんが,以前は一大イベントだった,オリンピックやその他のイベントがあまり特別でなくなってきたような気もしています.とは言うものの,正月はある意味で依然特別です.初詣などもありますし,何よりも新しい年のはじまり,という気がします.年中1月1日の気分で過ごしたら,新しいはじまりというすがすがしい気分で過ごしたら,さぞいいのではないか,と思ったりします.ときどき正月の気分を思い出せたらいいなあ,と思っています. 2002年11月20日 秋は学会シーズン.この秋にも多くの学会が開催されました.学会が秋に開催されるのは,日本だけでなく,外国にも共通するようです.しかし,これはおかしいと思いませんか?日本は3月で学年が終わり,それをまとめて成果にするまでに半年ほど時間がかかります.一方,外国では7月ころに学年が終わり,それをすぐに成果にできるわけです.それでも,投稿から発表までには時間がかかるもの.本当はそんなに簡単ではないのかもしれません.また,単に,秋のほうが開催しやすいからではないか,という話も聞いたことがあります. さて,今回は,学会のついでに訪れた旅先での一こまです.11月に土木計画学研究・発表会が盛岡で開かれました.そのとき,初めて,わんこそばを食べに行きました.メンバーは名古屋大学の学生6名(あとから3名).あまり体調もよくなかったのですが(学会へ行くと体調を崩すことが多いです.旅の疲れか,準備疲れか,食べ過ぎ飲みすぎか?),せっかくの機会なので挑戦しました.男性の平均は50〜60杯くらいと聞かされましたので,とりあえず,目標はそのくらいにして食べ始めました. しかし,一緒に行った人が50杯,60杯と,どんどんと食べていきます.こちらも20杯くらいの差をつけられながら追いかけます.そんなことで対抗意識を燃やしているうちに,結局,一緒に行った男性は全員100杯をクリアしました.最初のほうは結構おいしかったのですが,100杯も食べると,だんだん気持ちが悪くなってきます.まあ,こういう普段ではやらないことをするのも,学会の楽しみの一つかもしれません.もちろん,それからしばらくそばを食べなかったのは言うまでもありません. 2002年10月8日 いまはアジア大会の大会期間中.4年に1回のスポーツの祭典に,多くの人が熱中しています.しかし,この大会,活躍しているのはほとんど中国,日本,韓国の選手です.7日現在,金メダルの獲得数は中国97,韓国47,日本31.それ以外の国は総てあわせても57にしかならず,4位のカザフスタンは10個と大きく離されています.国ごとのメダルの比較を見るたびに,この偏りの原因は何なのか,という疑問が生まれます.人口,経済レベル,スポーツへの意識など様々な影響がありそうです. そこで,人口当たりおよび国内総生産(GDP)当たりのメダル獲得数を調べようとしたところ,英紙インデペンデントがシドニー五輪の国別メダル獲得数を,各国の人口と国内総生産(GDP)をもとに順位づけを行っていました.人口当たりのメダル獲得数は,<1>バハマ,<2>バルバドス,<3>アイスランド,<4>豪州,<5>ジャマイカの順.GDP当たりでは,<1>キューバ,<2>モルドバ,<3>エチオピア,<4>グルジア,<5>ジャマイカの順.メダル獲得の実数で世界一の米国は,人口比で46位,GDP比で76位.日本は,人口比で61位,GDP比では79位だそうです. オリンピックなどの大会の出場枠が国単位で与えられることが多いため,人口あたりの比較にも意味があるとは言えないかもしれません.それにしても,指標の取り方しだいで大変な違いがあるものです.いずれにしても,メダルを獲得した選手,チームの価値は,どんな指標を取っても決して下がることがないのは言うまでもありません. 英紙インデペンデントの統計記事は以下を参照しました. http://www.yomiuri.co.jp/sydney/news/1004sd03.htm 2002年8月26日 7月29日(月),恒例の名古屋大学土木系研究室対抗ソフトボール大会が名古屋市東区の大幸公園にて開催されました.梅雨明け直後という大変暑い時期でしたが,幸いにもやや曇っていてくれました.全部で12チームが参加し,3リーグ(各4チーム)に分かれての予選を行った後,各リーグの上位2チームがトーナメント形式で優勝を目指しました. 我が計画研(森川・山本研究室)は,予選リーグを3勝0敗で突破(対井村研,対構造研,対林・加藤・中村研B).決勝トーナメントでも土質研B,林・加藤・中村研Aを下し決勝へ進出.決勝戦では予選リーグに引き続き再び構造研と対戦し,14-4で優勝を決めました. ここ数年,優勝できるだけの戦力が揃っていたにも関わらず,あと一歩のところで優勝できなかっただけに,今年の優勝は大変うれしいものでした.大学の研究室対抗のソフトボール大会でも優勝するのは難しいもの.優勝するというのはどんな大会でも難しいことがよく分かります.次の大会は秋にある東海地方の土木計画系研究室対抗の野球大会です.
(注)敗戦の相手は決勝トーナメントのもので,予選リーグのものではない. 2002年7月22日 大相撲名古屋場所は14勝1敗で大関千代大海が優勝しました.関脇の朝青龍も12勝3敗と健闘し,場所後の大関昇進も間違いないでしょう.このような明るい話題の一方,貴乃花の6場所連続休場に代表される休場力士の多さ,観客数の少なさ,などの問題も多かった場所でした. さて,私は7月19日の金曜日に愛知県体育館にて,大相撲を初めて観戦しました.13日目,千代大海と朝青龍の直接対決の行われた日です.参加メンバーは名古屋地区の留学生25人と日本人5人.私は所属研究室の留学生から余り券を購入しての参加となりました. 座席は椅子席,かなり後ろのほうです.しかし,体育館は思っていたよりも狭く,意外に見やすい席でした.野球の外野席よりもかなり見やすい感じです. 観戦は,幕の内力士の土俵入りから.相撲の臨場感,取り組みが進行していく時間の感覚.テレビを見ているときには感じられなかった本場所の雰囲気を味わうことが出来ました.同時に,相撲観戦には集中力を必要とすることも分かりました.テレビでは,制限時間などはアナウンサーが教えてくれるもの.しかし,実際の土俵ではそんな解説はありません.少しボーっとしていると立会いを見逃すこともしばしばでした. 13日目の大一番,1敗でトップを走る千代大海と朝青龍の直接対決は,千代大海が大関の意地を見せ押し出し.これを2敗で追う横綱武蔵丸は霜鳥に押し出され3敗目.優勝戦線から脱落しました.結びの一番で武蔵丸が敗れたあとは体育館中で座布団が乱舞.参加していた留学生も唖然,呆然,驚きを隠し切れない表情でした. 初めての相撲観戦の時間は新鮮な感じがしてよかったのですが,残念のは体育館が全面禁煙ではなかったこと.どうもタバコの煙は好きになれないんです.室内スポーツで喫煙が許されているとは夢にも思わなかっただけにショックでした. 2002年6月23日 ウェブのアドレスが以前のhttp://www.trans.civil.nagoya-u.ac.jp/students/sanko/index.htmより,http://www.trans.civil.nagoya-u.ac.jp/~sanko/に変更になりました.ウェブの反響は若干ありました.本山駅の時刻表など,私の生活を反映している,とのコメントが多かったです. 日本はこの1ヶ月あまり,ワールドカップ一色です.日本もグループリーグの最終戦で予選突破を決め,決勝トーナメントに進出しました.それにしても,グループリーグはほとんどのチームが最終戦で決勝トーナメント進出を確定させました.これは偶然なのでしょうか?私は,グループリーグが4チーム総当りで構成され,上位2チームが決勝に進出できるのは,とてもよいシステムだと思います.それは,最終戦で予選突破が決定する場合が非常に多く,消化ゲームが発生しない可能性が高いからです.今大会でも予選2試合目が終わった時点で決勝進出が決まっていたチームはほとんどありません. グループリーグの最終成績を考えるとこのことがよく分かります.2勝1敗のチームが3チーム,0勝3敗のチームが1チームという場合が起こり得ますが,この場合には,2試合目まで2勝0敗でも,3試合目で負ければ得失点差で2位以内に入れないこともあります.逆の場合も同様に起こり得ます.3勝0敗が1チームで1勝2敗が3チームの場合です.つまり,2試合目まで0勝2敗でも3試合目に希望をつなぐことができるわけです. そのようなことを考えると,全世界がほとんど総ての試合において盛り上がった理由が分かったような気がしました. 2002年5月28日 1年半ぶりにホームページを更新してから約1ヶ月が経ちました.いまのところ,この更新について特に反響はなく,このページ自体あまり知られていないようです.もしくは,知っていても1年半も更新されなかったので,見たい人もいなくなったようです.今後,最低月に1度のペースで更新,もしくはコメントの入れ替えを行っていきたいと考えています.なお,このページでは,最初の1ヶ月で約500のアクセスがありました.が,そのほとんどは私自身によるアクセスです.このページは私が使いやすいように設計したので,私は毎日このページを使っています.以前のページでは私自身もあまり訪れていなかったことを考えると少しは進歩ではないか,と満足しています. 2002年4月25日 2000年10月からのフランス留学およびオランダでのインターンシップも無事に終了し,ホームページの更新も1年半ぶりにようやく行うことができました.今までのページでは私が所属していた準硬式野球部のコンテンツが大半を占めていましたが,その管理は後輩にお任せしました(リンクとして残してあります).新しいページでは,私の研究内容のページを今までよりも充実させました.また,トップページで日本語のページと新たに作った英語のページの目次を同時に閲覧することができるようにしました.さらに,私が頻繁にアクセスするリンク先へのリンクが容易なようにトップページをデザインし,より便利なページになるよう心掛けました. |