加護野先生は学生、研究者、実務家に対して多大な影響を与えてくださいました。先生からいただいたご指導やお言葉は私たちの宝物です。せっかくの宝物を多くの人と共有できればと考えました。そこで、加護野先生との忘れられない思い出や楽しかったエピソード、加護野先生の名言、加護野先生から受けた影響などを、ぜひこちらのフォームからお寄せ下さい。また、皆さまからお寄せいただいたメッセージをどうぞご覧ください。
メッセージは事務局で確認のうえ、当ページに掲載いたします。
なお、お寄せいただいたメッセージは、お別れの会当日に、ご紹介させていただく場合がありますのでご了承下さい。
問い合わせ先:(神戸大学大学院経営学研究科研究助成室)
所属: 足立石灰工業株式会社
お別れの会の感想を三矢先生にお伝えしたところ、投稿を勧められましたので、恐縮ですが投稿させていただきます。
私はMBAで三矢先生に師事しました。
三矢先生が加護野先生の愛弟子でいらっしゃるなら、私は加護野先生の孫弟子にあたります。
加護野先生には何度かお目にかかる機会はありましたが、直接ご指導いただく機会は残念ながらありませんでした。
しかし、お別れの会での動画で、先生の最後の授業を受けることができました。
その授業の中で、加護野先生が「結局、最後は気合だ」とおっしゃっていたのが、とても励みになりました。
ロジカルに答えが出るなら、全員が同じ答えになり、同じ答えで同じ行動を取れば、過当競争になり間違った答えとなる。
だから、考えるだけでなく、不確実でも意を決して行動することが大事だ。そのように勝手に解釈しました。
間違った解釈かもしれませんが、最近、あれこれ悩んで堂々巡りになっていることが多かったので、最終的には気合で決めて早く行動しろ、と背中を押していただいたように感じました。
加護野先生、貴重なご指導をありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
加護野先生のご家族の皆さまへ
昨日はこのような素晴らしい会を開いてくださり、心より御礼申し上げます。 加護野先生に直接お目にかかることは叶いませんが、先生の教え、ユーモア、そして人をつなぐ力が、会場に溢れ、まるで今も私たちを導いて下さっているような、そんな一日でした。
私たち1995年卒の8期生参加者(岩田、遠藤、竹久、保田、吉田、武市)は、会の後、三宮にて15時過ぎから19時頃まで集まり、思い出話と「ミニ加護野ゼミ(?)」を開きました。各自の仕事の悩みについて、みんなで解決を考えるもの。
例えば、 大学経営における少子化対応、環境ビジネスへの挑戦、会社経営の舵取り、トランプ関税による経済変化への対応・・・。 どれも簡単な問いではありませんでしたが、加護野ゼミらしく「問いを深める」ことの価値を再確認する時間となりました。
「加護野ゼミってやっぱりこうだったよな」と、あの頃に戻ったような時間でした。 先生がいらしたら、きっと笑いながら「君たちはまだまだやなぁ」と言って下さったかもしれません。
あの日、私たちの中にあった熱量、今回再び灯った学びへの意欲。 これはきっと、先生からの贈り物だったのだと思います。
三矢さんから「ぜひ、ご家族に向けた投稿を」とお声掛け頂き、こうして書かせて頂きましたが、同じような思いを持たれた方はきっと多かったと思います。 たとえ一言でも、気軽なものであっても、それぞれの想いを言葉にして残すことが、加護野先生への何よりのご報告になるのではと感じています。
最後に、改めて先生のご家族の皆さま、三矢さんをはじめ偲ぶ会のご準備に尽力された皆さま、そして会場でお会いできた皆さまへ、心からの感謝を申し上げます。 皆さまのご健康と、これからのご活躍をお祈り申し上げます。
所属: 横浜国立大学・国際社会科学研究院(経営学部)/総合学術高等研究院
私は、1996年に神戸大学大学院経営学研究科に入学以来、博士課程前期・後期と加護野先生にご指導いただきました。加護野ゼミは、研究生、修士院生、博士院生、ゲストなどが同じ場で発表・議論する活気あふれる場であり、当時20名以上が参加していたと記憶しております。発表の機会は限られていましたが、先生や多くのゼミ生の前での発表は、良い緊張感と刺激を与えてくれました。院生の発表に対して、先生は常に穏やかで建設的なコメントをくださり、私たちを勇気づけてくださいました。先生の口癖(?)であった「よっしゃ、いけるやろ」という言葉は、悩める私たちに自信と希望を与えてくれる魔法の言葉でした。当時は「いける」の真意を十分に理解できていなかったかもしれませんが、今思えば、先生の深い洞察力と論理に基づいた言葉だったのだと感じています。
現在、私も教育者として、先生の自由な発想を尊重する姿勢を受け継ぎ、研究と教育に取り組んでおります。先生から賜りました数々のご指導と温かいお人柄は、私の人生にとってかけがえのない財産です。
加護野先生のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
お別れ会に参加させていただき、改めて加護野先生が「人と人とを繋ぐ人」であったことを実感しました。
私自身も、その繋がりに大変助けていただきました。私はある企業のご協力を得て、博士論文を完成させ、その後の研究を進めています。私の指導教員である三矢先生(お別れの会実行委員長)がこの企業を研究対象としており、その縁でご紹介いただきました。しかし、この企業との関わりのそもそものきっかけは、加護野先生の奥様とその企業の創業家との交友関係にあったと伺っています。
そういう意味では、私の博士号、そしてその後の研究活動は、加護野先生と奥様なしには成り立たなかったと言っても過言ではありません。
私もまた、「加護野先生の人と人を繋ぐ力」によって人生を変えていただいた一人です。ここに記して心からの感謝を申し上げます。
所属: 龍谷大学経営学部
学部時代、加護野先生のゼミを希望しておりましたが、ご病気でゼミが開講されず、別のご縁で銀行員となりました。社会人になった後に先生のセミナーを拝聴した際、お話に一気に引き込まれ、私の学部時代からの想いに再び火がつき、大学院に進学することを決意しました。
大学院で私を拾っていただき、暖かくも本質を突いたコメントでご指導いただき、その学恩の大きさは計り知れません。当時、殺伐とした雰囲気だった金融業界から移ってきた私を見て「宮本君はいつも肩に力が入っとるな」と仰っており、すかさず柴田先輩からも「コイツ、頭から湯気でてるでしょ」と談笑したことを思い出します。
ゼミの発表では、無難な内容を置きに行くような発表をすると、「もっと本質を」と言われ、私が「本質が見えるまでもっと考えます」と言うと、先生からは「もっと考えるというより、ハンドルの遊びの部分が必要」と的確なコメントをいただきました。
その後、私が九州に就職すると、「どや、いつ帰ってくる」とお声かけをいただき、この2025年4月から関西に戻ってまいりました。生前にご報告できなかったことが残念です。加護野先生、本当にありがとうございました。
「経営がうまくいく仕組みの”中身”を明らかにするのが経営学の研究やと思いませんか」
SCMを研究していた私が加護野先生に何度かご指導頂いたとき、組織、ロジック、そのインサイトに着目すること、そこが書けないといい論文は書けないことをよくご指摘頂きました。転職してからもコロナ禍からの立ち上がりなど「迷い」がある時は菓子折りをもって先生を訪ねました。でも加護野先生先生はいつもニコニコ、いつもすごい角度からハッとする一言でいつも大事な気づきをくれました。
これから神大の経営戦略は吉村先生が引き継がれ、加護野先生の教えの集大成にきっと辿りついていかれると思いますが、私共学府ではなく社会で事業に携わる門下も加賀野先生の教えを実践し、経営の荒野を一歩前に進んでいきたいと思います。加護野先生ありがとうございました。ゆっくりお眠りください。
所属: ファミリービジネス
加護野忠男様
お別れの会に参列させて戴き有難うございました。先生とは同世代です。
皆様から慕われている先生の人柄、功績に感じ入り傾聴しました。
ファミリービジネスのこと語ったこと懐かしいです。東京の学会に行こうと誘ってもらいました。
でも固辞したこと悔やんでいます。
お別れの会で先生の素晴らしいファミリーとお会い出来て嬉しかったです。
「まなびすと」の私は人生を向き合います。多くの気づきを戴きました。感謝申し上げます。
もっとお話ししたかったです。またお話ししましょう。いつかそちらに行きます。 合掌
所属: PHP研究所
加護野先生には社として、数々のご貢献をいただきました。著者として、松下幸之助の学問的にも正統な研究書をはじめ、日本型経営に関する研究書、さらには弊社刊行のビジネス誌に時事に応じたご論考をご執筆いただきました。年末、私どもから『松下幸之助選集』を刊行する運びとなり、その意義について、宮本又郎先生との対談にご出演いただいたのが、最後になると誰が想像し得たことだったでしょう。
そのほか、ご一緒したシンポジウム、ご指導いただいた取材。先生のご指導をいただいた社員が何人も弊社にはおります。先生のご自愛の広さ、深さを皆感じていることと思います。
加護野先生。本当にありがとうございました。先生には松下幸之助AIの開発についてご助言いただきたかった。長年の弊社へのご貢献に心より感謝を申し上げます。
ご冥福をお祈り申し上げます。
所属: PHP研究所
加護野先生には社として、数々のご貢献をいただきました。著者として、松下幸之助の学問的にも正統な研究書をはじめ、日本型経営に関する研究書、さらには弊社刊行のビジネス誌に時事に応じたご論考をご執筆いただきました。年末、私どもから『松下幸之助選集』を刊行する運びとなり、その意義について、宮本又郎先生との対談にご出演いただいたのが、最後になると誰が想像し得たことだったでしょう。
さらには、私どもの研究事業に数々のお力添えをいただきました。弊社主催のシンポジウムへのご参加は数知れず、個人としましてもパナソニック津賀社長へのインタビューもご一緒させていただきました。
また、教育者として先生のご指導をいただいた弊社社員がたくさんおりました。中には大学院生として、先生から直接ご指導をいただき、研究者として、活躍の幅を広げている人間もおります。
いつもユーモアあふれるご指導をいただき、加護野先生、本当にありがとうございました。感謝とともに。謹んでご冥福をお祈り致します。
所属: 東京医療保健大学
加護野先生、永らくお世話になりました。
銀行入社後も何度かお会いし、都度、金融業界で不足している気づきを教えてもらいました。
5年前に研究室にお邪魔した際は「いつまで銀行員や大学院行ったりしてるねん。ノウハウだけでは何にもならない。実践しなさい。例えば、云々」とご指導賜りました。
いつもアドバイスが一歩先で、未だにそとひとつひとつの言葉は私の宝物です。経営学は後付けの学問と言われたりしますが、先生はいつも実践に基づいた本質に基ずかれてました。
今後も笑顔で照らして頂けると幸いです。今後も頂戴したお言葉を忘れずに頑張ります、引き続き宜しくお願い致します。
所属: 早稲田大学商学学術院
1994年6月25日、ご多忙の中、奥様と仲人を引き受けてくださって本当にありがとうございました。結婚式はなんと組織学会の日(青森公立大学)。加護野ゼミの先輩の皆さんにも招待状を出して参加いただいて、今考えると恐ろしい限りです。おかげさまで妻子と一緒に円満に暮らしています。
天国では、志を継ぐ愛弟子が立ち上がってくれて、さぞかし安堵されていると思います。
私たちも応援します。私もいい歳になりましたが、実務の世界との架け橋をあきらめることなく、ビジネスシステムという壮大な研究テーマの、一欠片でもしっかり発展させていこうと思っています。
所属: ファミリービジネス学会
2014年に拙著『同族経営はなぜ3代で潰れるのか? ファミリービジネス経営論』を上梓した際には、加護野先生にご書評を賜り、また先生が主宰されている経営者の朝の勉強会に講師としてお招きいただくなど、貴重な機会をいただきました。心より感謝申し上げます。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
所属: 1990年卒業 ゼミ生
加護野先生とはゼミでのご指導以外にも、私が所属していた神戸大学児童文化研究会(みなさんにはジャリ研といったほうが通じやすいでしょうか)の顧問をしていただいていたのでいろいろお願いに上がることも多かったです。
子ども相手の活動で、先生に実際の活動に来ていただくことは叶いませんでしたが、あの笑顔できっと子どもたちの大の人気者になっていただろうと想像します。
卒業してから木材業を営んでおりますが、お会いするたびに「これからは木材の時代だ。感性に訴えかけるといい」とゼミ時代を思い出すかのように叱咤激励いただいてました。もうそんなお言葉をいただけないのは、本当に残念ですが、加護野先生にいただいた言葉をしっかり実践するよう、加護野ゼミ卒業生のプライドを持って頑張ります。
長い間本当にお疲れ様でした。ありがとうございました!
所属: 有)戎井会計コンサルティング
加護野先生との思い出;
先生と初めてお話したのは、沖縄万国津梁館で開催されたファミリービジネス学会設立前夜の国際大会でした。
先生は奥様を伴われてご参加されており、学会が大変オープンな開かれた文化を有していると感じました。
その後、ファミリービジネス学会は、慶應義塾大学で学会発足の決議が行われました。
私自身は会計士でございますが、学会会員にお誘いいただき、メンバーに加えていただきました。
当初より学識経験者以外の会員枠を設けられて学会設立された趣旨には、懐の深さと経営実務を大切にされている姿勢に感銘を受けました。
多様性とネットワークを大切にされた先生のお考えが、私の人生にも大きな指針の1つとなりました。
加護野先生、誠にありがとうございました。
所属: 慶應義塾大学
このたびは、加護野忠男先生のご逝去の報に接し、言葉を失う思いでおります。
ファミリービジネス学会にて頂戴したご指導は、まるで春風のように爽やかでありながら、本質を鋭く突くものでした。そのお言葉の一つひとつが、今も私の研究を支えております。
まさに巨星墜つ。学術界にとって、また私たちにとって、これほど大きな喪失はありません。心より哀悼の意を表します。
加護野先生と初めてお目にかかったのは、沖縄で開催されたファミリービジネスに関する国際大会でした。大会終了後、日本にもファミリービジネスの学会を創設しようと言う話になりました。新しい学会作りに自分も参画できると、気分が高揚したことを今でもはっきりと覚えています。
ファミリービジネス学会創設後は、加護野先生からいただいた理事会や総会等、学会運営に関わる助言等はいつも的を得たものでした。もちろん、ファミリービジネスの研究に関する加護野先生の示された多くの優れた知見は、今あるファミリービジネス研究の発展の礎として大きな金字塔となっています。
個人的には、ファミリービジネスに関わる翻訳書を上梓した際、加護野先生に「恐る恐る」書評をお願いしたところ、気軽に書いてくださったのには、こちらが思わず恐縮した程でした。書評の最後に、「ファミリービジネスの経営者や経営後継者に熟読をお勧めしたい好著である」とあり、加護野先生の優しさを深く感じた次第です。
加護野先生、本当にありがとうございました。加護野先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
所属: 名古屋市立大学大学院経済学研究科
加護野先生には、どれだけ感謝してもしきれません。
日生の寮から先生のご自宅に(不躾ながら)電話して、先生の下で学ばせて下さい。とお願いした時の緊張感が、いまだに忘れられません。どこの馬の骨ともわからぬ私に、「試験に受かればええよ」と返して下さいました。そんな風にお願いして学問の道に入れて頂きながら、「時には沈潜もええよ」というお言葉にすっかり甘え、とうとう浮上しなかった自分が恥ずかしくなります。
一方、小さなファミリービジネスの株主の立場では、様々な苦悩・困難に直面してきましたが、その度に、先生が研究を通じて発信される、きわめて本質的なメッセージの重みを痛感してきました。「大学はお寺みたいなもんや」というお言葉の真意を理解できているかわかりませんが、先生の、数々の書籍と論文に改めて魅了され、救われてきました。
長い時を経て、「経営」について、先生に直接お話を伺いたい点がいくつもありましたが、もはや叶わず、残念でなりません。しかし、「ムカデに歩き方を尋ねたら止まってもうた」という先生のお言葉をかみしめ、前に進み続けなければならないと思っています。
先生、本当にありがとうございました。寂しいです。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科教務グループ
40年以上も前のことになりますが,加護野先生ご一家と同じ六甲台町のハイツ六甲に住んでおりました。
妹は娘さんたちと仲が良く,おうちに遊びに行ったり来たりしておりました。
両親は今も六甲の麓の別のマンションに暮らしております。
私は2022年7月より神大経営教務グループにて留学生担当職員として勤めておりますので,
先生とはいずれ職場でお目にかかる機会があるものとばかり思っておりました。
ご来学の折にご動向を把握してご挨拶さしあげておけばよかったと,残念でなりません。
トピーのパパ,どうぞ安らかに。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
神戸大学に就職して間もないころでしたが,加護野先生の「経営学入門」(学部生対象)を聴講させていただきました.
このメッセージを書くに当たり,そのときの講義資料を眺めており,また勉強しようと思いました.
これまでお世話になりました.心よりご冥福をお祈りいたします.
所属: SCM JAPAN
自分は韓国から日本に留学した者ですが、加護野忠男先生のゼミ生になり先生の研究室でのゼミ授業の時、先生と一緒にタバコを吸う同期生に大きなキャルチャショックを受けた事を今でも鮮明に覚えています。
韓国人として今でも年上に対してできない事であります。
日本経済新聞とプレジデントから先生の投稿を見てましたが、これから先生の教えがない事に大変残念であります。
先生と最終講義に行きお会いした事が最後でしたが先生の弟子になった事に誇りに持っています。日本経営学の学者として貢献し忙しかった世の中だったのですがこれからは天国でお安らぎください。
何年前か学校に4期生が先生と記念植樹した木を六甲台講義室前で観てきました。
これからも学校に行ったら先生の魂と思って挨拶にまいります。
これからも先生に感謝して生きて行きます。本当に有難う御座いました!
所属: 神戸大学FB研究教育センター(三菱UFJ銀行)
加護野先生には神戸大学MBA講義、神戸大学大学院博士後期課程、神戸大学FB研究教育センター顧問としてご指導を頂きましたこと心より御礼を申し上げます。
ファミリービジネスに関する実務家として、加護野先生から多大なる影響を受けたことが、私自身にとってかけがえのない財産となりました。これまでご指導を頂いたことを活かして、しっかりと社会に貢献できるように尽力してまいります。
所属: (公財)こうべ産業・就労支援財団(旧・神戸市産業振興財団)
加護野先生とは、悩める神戸の中小企業の経営者に対して加護野先生が直接相談に応じる「神戸経営戦略外来」事業でご縁を頂きました。
経営学の大家との面談を前に緊張する経営者に対し、加護野先生は惜しみなく経営ノウハウを伝えてくださり、面談後は笑顔で帰る経営者が多かったことが印象的でした。
どんなに小さな企業であっても、いち経営者としてリスペクトを欠かさず、誠実に向き合ってくださった加護野先生の姿勢をみて、自分も支援者としてこうありたいと何度も思いました。
門下生ではありませんが、私自身も加護野先生の言葉に支えられたひとりです。
長い間本当にありがとうございました。
所属: 日経BP
『ゼミナール経営学入門』『経営はだれのものか』の担当編集者です。コンファランス・学会での加護野先生の本質を突きつつジョークを交えた愛のこもったコメントは絶妙なものでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 関西大学
私は大学院進学時にゼミを変更して加護野研究室に受け入れていただきました。この進路変更がなければ今日の研究者生活はなかったと深く感謝しています。修士論文では加護野先生が書かれた『日本企業の多角化戦略』の追試を行い、多角化研究の実証分析のご指導をいただきました。ゼミでの要領を得ない私の発表に対して、「それは一言で言うとどういうことや?」と物事の本質を明確に示すことの重要性を教えられました。
初めての学会発表でフロアから厳しいご指導をいただき落ち込んでいた時も、「あれは指導教官の僕に対する批判やから気にせんでええぞ」と優しく声をかけていただきました。大学教員になってからも海外の学会に同行させていただいたり、研究プロジェクトに参加させていただいたり、出来の悪い弟子を見捨てることなくご指導くださいました。加護野先生の研究室で夜遅くまでデータ分析をして議論させていただいたことは、本当に楽しい思い出として残っています。
先生の学恩に報いるために、これからも研究成果を先生にご報告できるように努力したいと思います。加護野先生、本当にありがとうございました。先生のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
所属: 株式会社 眞壁マテリアル
私が加護野先生のお話を初めてお聞きしたのは
学部生全員が受講する3つの基礎単位(いわゆる基礎論)の経営学基礎論でした。
経営学に初めて触れる学生にもわかりやすい講義で、とても印象深かったのを記憶しております。
また、その時の教科書「ゼミナール経営学入門」は今も自宅書棚においております。
卒業後私は家の事業を継いだのですが、そのメインバンクの経営者懇親会で加護野先生が講演にいらっしゃったことがありました。
学生のときと変わらない穏やかな語り口で、とても面白くためになる講演をしていただいたのですが
講演終了後の懇親会で久しぶりにご挨拶に伺うことができました。
先生から「家業の調子はどうか」と聞かれ「不況の折は大変でしたが、こうやってなんとか乗り越えられました」と答えると
とてもうれしそうに微笑まれて、激励の言葉を頂いたのを今でも覚えております。
先生を直接お見かけしたのは結局それが最後となってしまいましたが
神戸大学で先生のゼミに所属できたことは素晴らしい経験だったと大変感謝しております。
先生、ありがとうございました。心より御冥福をお祈りいたします。
所属: 住友ゴム工業株式会社
加護野先生におかれましては、謹んでお悔やみ申し上げます。
直接ご指導を賜る機会は叶いませんでしたが、入学式での温かいお言葉やケースプロジェクトでの的確なコメントは、強く印象に残っております。また、修士論文の研究を進める中で、先生の偉大なご功績、そして先生の研究に深く影響を受けられた多くの門下生の方々の研究に触れる機会が多く、日本の経営学における先生の計り知れない貢献に改めて深い感銘を受けました。先生がその立ち上げから企画されたこのMBAプログラムに在籍できることを、心より誇りに思います。
安らかなご永眠を心よりお祈り申し上げます。
所属: 国士舘大学
加護野先生に初めてお会いしたのは、修士課程に進学して間もない頃、ゼミ生7名で先生の研究室にお邪魔したときのことでした。当初は、何名かが別のゼミに配属される予定だったのですが、最終的には7名全員をお引き受けくださり、私たちを温かく迎え入れてくださいました。そのご厚意に触れながらも、初対面のときのあの緊張感は、今でも鮮明に覚えています。
何年か前に、日本経営学会関西部会(神戸大学開催)で発表の機会をいただいたことがありました。まさか先生が会場にお越しになっているとは思わず、壇上からお姿を見つけた瞬間、院生時代の緊張感が一気に蘇りました。その時、先生から「ちょっと違うんやけどな」とコメントをいただき、正直ショックではありましたが、不思議とその言葉の奥に愛情を感じたのを覚えています。今となっては、その一言も懐かしく、温かい記憶として胸に残っています。
不出来な弟子ではありましたが、先生から賜った数々のご指導とご恩を胸に、これからも研鑽を重ねてまいります。
加護野先生、本当にありがとうございました。どうか安らかにお休みください。
所属: スカパーJSAT株式会社
加護野先生には、学部のゼミでご指導いただきました。これまで30年のビジネスマン人生を過ごしてきましたが、いろんな場面で加護野先生の教えが思い出されました。今所属している部門の事業は立ち上げからもうすぐ30年。市場とともに部門の売り上げも減ってきており、これが「企業の寿命」なのか「戦略の失敗」なのか、加護野先生に聞いてみたかったです。
学部生時代にはふらっとゼミ室に行って雑談をしていましたが、東京で就職したため完全に遠ざかってしまい、もう少し無理してでも先生にお会いしておけばと後悔しています。
私が今でも思い出す加護野先生の教えは非常に普遍的で古びることはないので、もう少し続く会社員生活の中で、指針としていきたいと思います。
先生、ありがとうございました。そして、もう少しお世話になります。
所属: 97年入学の大学院ゼミ生
加護野先生、いつも有り難うございます。
加護野先生とは、折に触れ、様々な叱咤を受けました。
大きな声ではないですが、
「なんで、そんな枠組みを使うんや」と、
小声でゼミの休憩時間に叱られたこともあります。
学会発表の場では、私の発表を聴いてくださり、
発表後には知の壁打ちのお相手をしていただきました。
時には対面で、時には大きなサイズの付箋にメモ書きで、
そして後日にメールで、叱咤のメッセージを頂戴しました。
その中で、忘れられない言葉があります。
それは、「あの発表は、慇懃無礼やな」と。
慇懃無礼? 大和言葉で言うと何や?
その実を知って、猛省したことを覚えております。
まゝ、あの国民的ヒーロー番組でいうところの、
メフィラス星人みたいなキャラのことを指すんだなとも知りました。
それ以来、メフィラス星人を憎めない私がいました。
叱咤は、叱ることの裏側に、励ますことも共生しています。
大きな声でなくとも、私の心には大きく響いております。
「教科書で言われているようなことや前提は、ナンセンスだよね」
と言える確からしさを、研究で創り出す。
いつも有り難うございます、加護野先生。
所属: 株式会社伍魚福
加護野先生には、「ひょうご経営革新賞」、「関西経営品質賞」を通じて大変お世話になりました。
ひょうごの時代から、当時販路として考えていなかった、コンビニを攻めるべきだ、とおっしゃっていたのが強く記憶に残っています。
先生が判定委員長として携わっていただいた2014年度関西経営品質賞の審査レポート。改めて読み返しますと、加護野先生のお言葉のように思え、その内容の的確さに驚いています。
最近は大手コンビニ3社とも取引をするようになり、弊社の成長の原動力になっています。
2022年、日本経営品質賞奨励賞を受賞した際には、関西の優秀賞受賞企業なのになぜ、という不満を漏らされていたと伺っております。弊社の努力不足もあってのことですが、いつの日か、加護野先生に良い報告ができるよう、お言葉を指針としてこれからも努力を続けます。
本当にありがとうございました。
所属: 名古屋市立大学
加護野先生に初めてお目にかかったのは、学部2回生のゼミ説明会でした。人気ゼミに無謀にも応募して、運よく入れていただきましたが、この時の選択がなければ、全く違う人生となっていたと思います。
大学院進学時、加護野ゼミを希望する人が多かったので、他のゼミに振り分けるための面接がありました。事務の指示にしたがって第2希望まで書いていたところ、「何で第2希望がいるねん、うちに来るに決まっているやろ」と先生におっしゃっていただき、たいへんありがたかったです。
大学院を修了してからも、神戸大や甲南大でのゼミに定期的に参加させていただき、折に触れてご指導いただきました。昨年、最後にやり取りさせていただいた際も、「(とある不正問題について)きっちりと調べて書くように」とおっしゃっていただきました。いつぞやのゼミで、「悪いことを防ぐためにルールがある。でも、良いことをするためにはルールを破ることも必要や」と先生がおっしゃっていたことが思い出されます。
これからも加護野先生から学んだことを糧にして、きっちりと調べて書いていければと思います。加護野先生、長きにわたってご指導いただき、ありがとうございました。
所属: 日本イーライリリー株式会社
加護野先生は、我々神戸大学MBAの青春の象徴でした。とにかく先生から認められたい、加護野先生から5点のご褒美が欲しいと、仲間と長時間にわたる議論を進めたことは、とても懐かしい記憶です。実際、テーマプロジェクトにて5点を取ることができた瞬間は、本当に嬉しかった。深く勉強したつもりではありましたが、先生から沢山の示唆に富んだコメントを頂き、更に学びを深めることができました。
また、MBA Cafe会長として30周年記念のインタビューをさせていただきました。加護野先生にインタビューできる。その機会は、私にとってMBA Cafe会長を拝命した最も大きなインセンティブとなりました。先生からは、変革型人材の育成の視点、そして、30周年前のMBA設立時の苦労話を伺いました。その当時は、「自分たちがこの学校をよくしていくんや」といった使命感を持った方が多くいたと聞き、MBA Cafe会長として、MBA Cafeをもっと交流ある団体にしたいと心に誓った瞬間でもありました。
これまで、神戸大学MBAをリードいただきありがとうございました。我々全員先生に感謝しております。そして、ゆっくりお休みください。
所属: 武庫川女子大学
加護野先生には神戸MBA時代、さらには博士課程時代に副査として大変お世話になりました。MBA時代は実務経験を繋げた修士論文で何とかなりましたが、博士論文はアカデミックな基礎知識が必要不可欠で、実務家の私は明らかに知識不足で、実務家では無理じゃないか、仕事と両立は無理じゃないかとくじけそうでしたが、加護野先生はいつも私の研究を面白がって下さいました。私が縁あって女子大の経営学部設置準備に関わることになった時も『いいね。面白いね』と興味津々で話を聞いて下さいました。常に知的好奇心に溢れた姿勢は励みになりました。私も先生のようにいつまでも知的好奇心に溢れ、後進に影響を与えられるよう頑張ります‼︎ありがとうございました。
加護野先生には、ファミリービジネス学会やファミリービジネス研究所の創設、また経済産業省におけるファミリービジネス関連の研究など、アカデミアとして主導的な役割を果たしていただきました。そのご恩は計り知れません。さらに、ファミリービジネスの土着企業としての地域貢献についても深い洞察を頂戴しました。
先生のご恩に少しでも報いるため、今後も日本におけるファミリーガバナンスの発展を通じたファミリービジネスの支援に尽力してまいります。心より感謝申し上げます。
所属: Phronesis Design Studio, UK; 神戸大学Value School客員教授
加護野先生は1990年の学部時代からのあこがれでした。
特に、アングロ・アメリカ発の理論・実務が支配的な中、日本の経営の本質を船場商人の明朗なロジックで表現し、海外の研究者を納得させておられた先生のアプローチは、イギリスで学際的会計研究を展開する際の大きな学びとなってます。Manchester Business Schoolを経てSheffield大学に勤めはじめた2013年に、勇気を出して先生との対面を申し込み、先生の理論を応用した自分の研究を伝えると、「いいところに目をつけてるよ」と言って下さり、とてもうれしかったです。
以来、その時に頂いたインスピレーションを形にすべく尽力してきました。
次にお会いする時は、神戸の先生方の協力のもと、Sheffield大学とのダブル・デグリー・プログラムを立ち上げ、両大学の橋渡し・共同研究企画を手掛ける中で3人の学生を輩出できたことをご報告する予定でした。このプロジェクトは、加護野先生のお考えを受け継ぎ、日本の「知」「ことば」を英語中心のアカデミアで発信するのが目的でした。何分「愚直」な性分ゆえ、紆余曲折あり当初思い描いていた形にはなりませんでしたが、母校の先生方に何らかの貢献ができた(る)ことを嬉しく思います。ありがとうございました!
所属: 九州大学名誉教授
編入学して外書購読を受講して以来、ご指導と学びの機会を頂いた。受けた学恩のあまりの大きさに感嘆するばかりで、感謝の言葉がみつからない。 私にとって幸せだったのは、先生の研究の展開を実感しつつ、経営学研究のパラダイシフトの渦中で学ぶことができたことであった。
それは野中郁次郎先生をいだいた六甲山での合宿コンファレンスから始まった。当時院生であった私はただただ議論の白熱ぶりに目を輝かせて聴き入り、研究の面白さに刺激を受けるばかりであった。合宿からは『組織現象の理論と測定』が上梓され、加護野先生のハーバード大学での在外研究からは『日米企業の経営比較』が出版された。これらはわが国における実証研究の扉を押し開けるものであった。
しかし、経営現象の背後にある論理の説明には、ヒトに注目し、認知のプロセスまで踏み込まなければならない。組織認識論へとシフトしてゆくのは実証分析を極めたが故の必然であった。
母校に戻った私は「現場に知恵あり、理論あり」とばかり、院生を実証研究に駆り立てた。訓詁学にどっぷり浸かった経済学部に実証分析の重要性を唱えることができたのは、加護野先生の学恩の賜物に他ならない。
所属: 一般社団法人 神戸大学大阪クラブ
クラブで開催された社外役員の懇談会において、当日の報告者であった小職の報告内容に懇切丁寧にコメントを頂いたのが懐かしい思い出です。研究者としての厳しい取り組みの姿勢を常に伺っておりましたので、先生の温かなお人柄を知れた貴重な機会であったと思い出されます。
所属: 筑波大学
加護野忠男先生のご逝去の報に接し、深い悲しみとともに、心より哀悼の意を表します。
先生のご研究や発信されるお言葉から、多くの示唆と学びを頂戴しました。実務と学術を架橋する視座、そして人間への温かなまなざしは、今も私の思索の根底に息づいております。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 北星学園大学
加護野先生
先生のご不在をまだまだ受け止められません。
訃報を知った日から気持ちが全く整理できず、こうしてメッセージを書くことも躊躇してきました。
言葉にまとめられず、先生がおられない事に向き合えず、他の方々のメッセージを目にしても涙が溢れます。
今ここではやはり、言葉にしきれないので、少しずつ先生の思い出をみなさんと共有させてもらう中で、または日々の暮らしの折々で、お礼の言葉も感謝の気持ちも必ずお伝えいたしますので、それまでしばしお待ちくださいね。
不出来な自分がなんとか大学で生きていられるのは先生のおかげです。いつも見捨てずご指導くださりありがとうございました。
先生にしていただいた事には到底及びませんが、自分ができることをご縁のある方々に精一杯お返ししていきたいと思います。
経営学の神様へ 心からの尊敬と感謝を込めて
修士時代に先生の『組織認識論』を拝読して以来、いつも先生のご知見に導かれておりました。ファミリービジネス学会においては、学会運営などご指導頂きとても幸運でした。
先生のご訃報を伺い、突然灯台の明かりが消えてしまったような思いでした。いつも先生に聞いて頂きたいなと思いながら自分が研究していたことに気づきました。先生の残されたご業績を頼りに、先生のくださる勇気のようなものを思い出しながら、研究を続けてまいります。
どうか天国から皆を見守ってくださいませ。
所属: 近畿大学経営学部教授
加護野忠男先生とのご縁が深まったのは、2003年1月です。金井壽宏先生が加護野先生に「京都花街」を事例に博士論文を書きたい院生を紹介したいとお電話してくださり、神戸大学の食堂でランチをご一緒することになりました。
「神戸大学の名刺は何の役にも立たんけど…」、ユーモアを交えて「一見さんお断り」の壁を超える伝手が私にあることを確認されると、これからは加護野ゼミにも参加し研究進捗を報告するようにとおっしゃったので、加護野先生から直接ご指導を受けることができる道がひらけました。そして、「事業システムとキャリア形成」という、生涯追いかける研究テーマが大学院時代に見えてきました。
「当たり前を疑え、面白い研究を」、加護野先生のご指導を実践しようとすることで、研究者として何とか歩みを重ねることができたと思います。先生の愛らしい笑顔、柔らかな口調、そしてズバッとした本質を突く深い洞察、ずっと憧れで見習いたいことばかりです。
惜しみなく頂いた学恩をお返しすることができないまま、加護野先生とお別れすることになり、さみしさと悲しさに言葉がありません。心からご冥福をお祈りいたします。
私は学部生時代、勉強熱心ではありませんでした。そんな私にも、先生は一度も怒らず貧弱な卒業論文にもAをくださいました。今思えば呆れてらしたのだと思いますが、当時私は「さすが器の大きな人は怒らない」と、先生の懐の深さに感銘を受けました。車椅子で移動されるようになっても「飛行機でCAさんの前に座れるんや!」と言われた時の満面の笑みが今も忘れられません。先生のポジティブに動じず達観されるご様子が、私の目標になっています。
50代を迎え、経営学を体系化し学び直す機会を得ました。ケースで迷う時「先生なら、どう分析し策を講じるだろうか?」と再度お話を伺いたいと強く願うようになりました。しかし、多忙と距離を言い訳に先延ばしにしている矢先の訃報でした。叶わぬこととなり、本当に残念でなりません。
先生のリアクションはいつも「微笑みと放置」という、それが「飴」なのか「諦め」なのか判然としないものでした。しかし、私は、先生から「自分で考え気づきなさい」という無言のエールを頂いていたと勘違いしたままにしています。
加護野先生が安らかにお眠りになられますよう、心よりお祈り申し上げます。
所属: 1995年卒
私が通っていた高校では毎年、各界で活躍する卒業生を招いた講演イベントがあり、2年生の時の講師が加護野先生でした。私にとって、経営学の存在を知り、志望校と志望学部が決定した瞬間でした。
その後大学で幸運にも加護野ゼミ生となった時、前年はお忙しくてゼミ生は採らなかったことを知りました。入学まで1年間足踏みした自分を褒めました。
加護野先生の講義は、「本当に皆履修している人なん?あれどう見ても学生ちゃうやん」と思うくらい、大講義室が立ち見であふれるほどの人気でしたので、そんな先生を独占できるゼミが楽しみでした。
経営学の大家による初めてのゼミを前に緊張して教室で待っていると、コーヒーをこぼさないよう、紙コップを片手にゆっくりと先生が入室されました。そして軽妙に話を進めながら、椅子に浅く座り、靴を脱ぎ、両足を教壇に載せ、紫煙をくゆらせて・・・「加護忠(カゴチュー)、バリごっつい!」。
あれほど集中しかつ楽しく過ごした時間はありません。脳裏に焼き付いた講義のいくつかを今でも時折、同僚や後輩へ披露しています。
先生、当時の思い出をこれからも大切にします。本当にありがとうございました。
所属: サントリーコンシェルジュサービス(株)
加護野先生には大学とMBAの2回ゼミでお世話になりました。本当にありがとうございました。
経営は全く未知の世界の経営学部生の我々にゼミで「マクドナルドはなぜビールを提供しないのか」という問いをいただき、尽きない議論のずっとあとに答えのない問いに考え続けることを学ぶということだったのだとわかりました。
また、MBA時代には先生とふたりで企業経営者のインタビューに行きました。その行程で先生からは酒の売り方や仕組みの変革の提案を切れ間なくいただきました。業界人でないのにそのアイデアの数と切り口の多様さに「できない理由」を並べていた自分が今となっては悔しいです。
(先生が言われていた知的悲観主義ですね)
ようやく先生と「経営」の話ができる年齢になりましたが、もう先生とお話することはかないません。先生の教えを思い出しながら、加護野ゼミの卒業生であること誇りとして、まだまだ研鑽していきたいと思います。先生の笑顔での激励は忘れません。
所属: 大阪公立大学
加護野先生には、おりにふれいろいろなお言葉をおかけいただきましたが、まだ大学院生のころ、微視的にすぎる研究に陥ることの問題を、ノミの、実在しない器官にたとえて、諭していただきました。これからも、少しでも広い含意をもつ研究ができるよう励んでいきます。ありがとうございました。
所属: 三井住友信託銀行(大和ネクスト銀行出向)
加護野ゼミの思い出
・就職に有利になるだろうと打算的な考えで、看板ゼミである加護野ゼミに応募したこと。
・優秀なだけでなく、明るく思いやりのある、大切な仲間と出会うことが出来たこと。(よくいじられました。)
・先生は、肩の力が抜けた、軽妙な語り口で、どこか親しみやすく、大先生のイメージとは少し違ったこと。
・ゼミが知識の吸収を目的とするものではなく、学生による自発的な思考を促すものであったこと。
・私は総じて不真面目な学生でしたが、ゼミだけは楽しみで、参加していたこと。
・卒業論文は、締切期限ぎりぎりの提出で、いろんな書籍の継ぎ接ぎとなったこと。
(先生、すみませんでした!)
最後に
加護野先生、
感謝の言葉もありません。
私の大学生活の大きい部分がそこにあり、
そして、それが、私の社会人人生にも深く生きております。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 三菱重工業株式会社
1989年に会社に入り、経営のことを勉強せねばと思って読んだのが、加護野忠男先生と伊丹敬之先生の共著『ゼミナール経営学入門』でした。その後、『企業のパラダイム変革』、『経営の精神』、『経営は誰のものか』など、一般向けに書かれた先生の著書を拝読し大きな影響を受けました。縁あって、先生とは何回か会食をさせていただく機会がありましたが、わたくしから、最近の日本のコーポレートガバナンス改革などについてご質問すると、舌鋒鋭く、政府の施策や通説的見解を批判され、誰のための改革なのかを厳しく問うておられました。もちろん、このような通説への痛烈な批判は、プライベートな場だけではなく、ご著書やご論稿として精力的に発表されておられました。意図がどうあれ、結果として、株主配分のみが垂直的に増加し、従業員の賃金も設備投資もまったく増えない、日本企業の経営の現状に対して、これからもっと加護野先生の批判精神に満ちた直言が求められていたと思います。弟子でもなんでもない、一介の会社員に過ぎないわたくしにも優しく接してくださり、本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
所属: (株)Newone/(株)Shift
加護野先生に初めてお会いしたのは今から30年以上も前のことで、当時私はNRI(野村総合研究所)に在籍したおりました。神戸大学の加護野先生を始めとする金井先生、当時博士課程におられた北居先生らと共同でチームを組み、企業風土の研究をさせていただきました。この研究をベースに、私たちNRIは「企業活性化プログラム」という商品を売り出し、私が責任者を務めていた経営コンサルティング室はこのプログラムのお陰で事業を拡大することに成功しました。商品化1年後には社長賞を受賞し、先生らは論文化したと記憶しております。その後、暫くして私はアクセンチュアに転職しましたが、後輩たちが改良を重ね、NRIでは「コーポレートゲノム」の名で10年以上サービス展開を続けていたと聞いています。また、このプログラムのクライアントの一つであった沖電気工業とは長くビジネスの関係を維持することができ、その縁でアクセンチュア退職後は、同社の役員になりました。私のキャリア形成にとって加護野先生は本当に恩のある方だと思っております。先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます
所属: 嘉義大学(台湾)
2002年3月卒のゼミ生です。
その後、私は、日本への旅行や論文発表会などにおける、時間があれば、なるべく加護野先生に面会して楽しく話しました。特に、縁があって、2015年に息子と、2018年に娘と、2022年に家内と、それぞれ連れて加護野先生に会いました。そのうち、先生は、当時大学生の娘と話して、もし日本に留学したいならば、推薦してあげると励ました。そこで、加護野先生が、私の恩師だけではなくで、家族みたいの感情を繋がって溢れております。
加護野先生は、天国に行っても、先生の優しい笑顔が、いつも私達の心に残しております。
所属: 中国人民大学商学院教授
加護野先生のゼミに入れていただいたのは、1986年12月のことでした。以来四年間、“経営学”の泰斗であられる先生のご指導のもと、沢山のことを学ばせていただきました。
帰国後は、先生の「年に一冊」という教えを胸に、大学で教鞭をとりながら研究に励み、これまでに拙著50冊と論文132篇を上梓することができました。天国におられる先生に、ささやかながらご報告申し上げます。
加護野先生の励ましとご援助がなければ今の私はありません。先生、本当にありがとうございました!
先生のご冥福を謹んでお祈りいたします。
所属: 株式会社フェリシモ
加護野先生に最初にお会いしてから、早いもので30数年の歳月が流れました。最初の出会いは、当時、弊社の指導をお願いしていた慶應義塾大学の嶋口充輝先生のご紹介で、加護野先生に講演にお越しいただいた時のことでした。その際、嶋口先生は「次代を担う若手経営学者」として、加護野先生をご紹介されていたのをよく覚えております。その後、時が流れ、2003年に私が神戸大学MBAに入学した際に、再び加護野先生とお目にかかる機会を得ました。それ以来、さまざまな場面でご指導・ご助言を賜り、大変お世話になってまいりました。お会いするたびに、先生はいつも穏やかな笑顔で、核心を突いた示唆に富むお言葉をくださり、深く感銘を受けておりました。また、加護野先生がメディアを通じて発信されるお考えやメッセージは、一経営者として私自身、常に大きな励みとなっておりました。長年にわたるご厚情とご指導に心より感謝申し上げます。どうぞ安らかにお眠りください。
所属: 関西国際大学
加護野先生に初めてお目にかかりましたのは1994年2月3日の入試面接でした。その時の先生のお姿とお声は30年以上たった今も焼き付いています。何と言えばいいのでしょう。まさかの加護野先生のゼミに入れていただき、舞い上がりました。修士論文を「よくできている」と褒めていただき、また舞い上がりました。それから2022年の博士論文の出版に「こんなよい本は滅多にでない」とオビを書いていただき、またまた舞い上がりました。
研究会での恐ろしくひどい発表にも、大きなヒントと明るい笑顔で「もうできたやん」と毎回、励ましていただきました。あのユーモアのある小咄に経営学の奥義を後になって気がつくことも多々で、あの独特の口調で「本みたいなんは大体がわかったらええんや」「大筋をつかむ」などいろんな言葉が頭にでてきます。ヒトの生き方、数知れない学びをいただきました。加護野先生の励ましがなければ今の私はありません。もっと、もっとお伺いできたはずだったのに、心のなかに大きな穴が開いてしまいました。
先生は天に召されました。先生への思いはいつも心にあります。4回目の舞い上がりを自分でやることが感謝報恩と思っています。
所属: 大阪経済大学
私が入学したのは1998年4月で、加護野先生が研究科長でいらっしゃいました。社会人として仕事との両立に苦心し、時間を何とかやり繰りして横浜など遠方から新幹線で通っている同級生も多かったので、授業当日大学に来て初めて授業の休講を知るという状況に不満が高まりました。その際、加護野先生が私達の言い分を、時間をかけて聞いて真摯に対応して下さる姿を見て、こんなに偉い先生が!と感動したことが忘れられません。
その後私自身も大学で教鞭を取ることになりましたが、学生に対する時には、この時の加護野先生の姿をいつも思い出すようにしています。日本マーケティング学会で石井先生との対談があったときに久しぶりにお会いしてご挨拶したのが最後になってしまいました。亡くなられて初めて改めて先生のご経歴などを拝見して、先生と同じ誕生日であることを知りとても嬉しくなりました。先生の足元にも及びませんが、神戸大学で学べたことを誇りに、恥ずかしくない仕事をしていきたいと思います。
最後になりましたが、先生のご冥福をお祈りいたします。本当に有難うございました。
所属: 現代経営学研究所
加護野先生は寛容で周りを勇気づけてくれる方でした。
何を相談しても「まぁ大丈夫や」と温かく励ましてくれて、私が失敗しても「大丈夫や。『加護野の指示が悪くて失敗した』って言っとき」と笑って終わらせてくれました。
お話の最後はいつも「何かあったら、いつでも呼んでくれてええで」とおっしゃって、その一言が私たちを支えてくださっていたことに改めて感じ入っています。
所属: 流通科学大学
2001年、加護野先生がアメリカ出張中に倒れられてから約1年後、ようやく大学にお仕事として復帰された頃、初対面だった私はゼミ室で緊張しながら、先生が執筆された1本の雑誌論文を手に、「コミットメント」という言葉の意味を伺ったところ、先生はすぐに「忠誠だよ」とはっきりと答えてくださり、その日本語の漢字も自筆で書いてくださいました。もちろん私は事前に何度も辞書などで調べていましたが、その一言を聞いた瞬間、胸を打たれ、深く心に響いたことを今でも覚えています。以来、物事の本質を見抜く加護野先生の洞察力と判断力に深い感銘を受け、現在に至るまで、いや、これからの人生を通しても、私の中に残り続けることでしょう。
ハリウッドの名作映画『ゴッドファーザー』のセリフそのものではないにせよ、その精髄にインスパイアされて広まったとされる言葉、「3秒で物事の本質を見抜ける人と、一生かけても見抜けない人とでは、明らかに運命が違う」というものがあります。まさにこの言葉の体現者のように、日常の研究指導や学会での基調講演、パネルディスカッション、質疑応答など、様々な場面で加護野先生の鋭い洞察力と説得力を目の当たりにし、私は深く敬服しておりました。それは、私一人だけの思いではないでしょう。本質を徹底的に追求する、真摯な研究姿勢と態度に私は深い影響を与えられ、それを受け継いできた、それと受け継がれていくでしょう。
加護野先生は、私にとって学問の世界を照らす啓蒙の師であり、人生を見守ってくださる尊敬すべき恩人でもあり、まさに外見(形)と精神(神)を兼ね備えた、「形神兼具」の偉人でした。カリスマ的指導者まさに心の「ゴッドファーザー」でいらっしゃいます。
ご逝去心よりご冥福をお祈り申し上げます。天国においても、どうか世間を見下ろしながら、私たちを温かく見守っていてください。
所属: 大阪公立大学
加護野先生に事後報告で出版した拙著について、先生が「何であんなタイトルにしたんやろ?」と仰っていたと人づてに聞いて後悔。次の本では出版社の編集者もいまひとつ納得しないタイトル案を持ち、甲南大学でおられた加護野先生のところに相談に行くと、「Management across borderやから『国際協働のマネジメント』でどうや?」と想定外のアドバイスをいただきました。加護野先生のコメントを編集者に伝えると「それですよ、それ」と絶賛され、「それ」になりました。
この相談の終わりに加護野先生が「今度はいつやろか?」。「何をですか?」と聞くと、「研究会や」。ということで、2012年4月からほぼ月1で研究会が甲南大(後に神戸大)ではじまり、加護野ゼミの関係者や私の所属先の院生も参加して、コロナ禍の頃まで続きました。自分には2回目の大学院のようで、とても贅沢な時間でした。修士で終わるつもりが、研究(または加護野先生の経営学)の面白さに魅せられてしまい、今も研究させていただいております。どうもありがとうございました。
私が神戸商工会議所在職中、起業支援担当となり、新規事業の相談に伺ったとき、「大学でできることがあったら。大学でやったらいい」とおっしゃってくださった加護野先生。
ベンチャー企業経営者が本音で話せる場の提供については「既存企業も含め、将来の神戸を支える若手企業経営者を本気で育成し、神戸地域の活性化に貢献する勉強会にしよう」。2002年8月以降、「若手経営者のためのMBA講座(後に「経営講座」に変更)」と名付けられた、朝食付き勉強会は毎月1回のペースで開催されました。現在は「加護野塾」として継続開催されていると聞いています。約20年の間には、座学だけではなく、京舞妓のおもてなし体験や淡路島の企業見学、灘五郷のメンバー企業での酒仕込み作業見学などもありました。
また、神戸地域で創業された経営者の方々の創業のきっかけや当時の思いなどをDVDで残したいと相談したときは「映像だけではなく冊子にまとめ、より多くの人が利用できるようにしよう」。インタビュアーをお引き受けいただき、8社9名の方々の肉声を収録することができました。
加護野先生、ありがとうございました!!
所属: 名古屋葵大学
勇気を出して「迷言」を書きます。
共著論文の締切近く、研究室で夜遅くなり、急遽ご自宅にお邪魔することになりました。奥様には美味しいお食事も作って頂き感謝申し上げます。
先生の書斎で夜を徹して修正したのですが、その後しばらくゼミで「僕と小橋さんは一夜を共にした仲だから」と仰るのがブームでした(東京の先生も2回は聞いたそうです)。
反応に困るのですが、その時の先生が満面の笑顔なので、やめて欲しいですと言えなかったのも懐かしいです。
学部ゼミ合宿の朝、右目のコンタクトが無いことに気づき、皆が探してくれました(使い捨てが無い時代)。申し訳ないので「もういいです」と言うと、「簡単に諦めてはいけない」と先生自ら一緒に探して下さいました。偉大な先生がこんな事までと驚くと共に、幸之助精神を実践かとも感銘を受けました。ちなみに、左目に二枚重ねて入れていました(恥)
療養後、「経営学者で本当に良かった。休んでいる間に日本の経営学が全く進歩してないから講演がまた出来る。しかし我々は本気で危機感を持たなくては」
いつも暖かく、楽しく、熱い魂をお持ちの加護野先生。ゼミ生となれた幸運に心より感謝申し上げます。
所属: 甲南大学経営学部
加護野先生との思い出は、たくさんあり過ぎてとてもすべて書ききれるものではありませんが、一つだけご紹介させていただきます。
30年ほど前、学会発表で韓国のソウルにご一緒させていただいたことがあります。私にとって初めての海外での発表だったので、発表前に先生に「『よろしくお願いします』って、英語でなんて言うんですか?」と質問したところ、「”Kill me tender” や」と、いつものあの笑顔でお答えになったのを覚えています。
まだまだご薫陶を受けたかったと思います。心よりご冥福をお祈りいたします。
所属: 大阪商業大学
加護野先生には、研究だけでなく教育することの大切さや姿勢についても教えていただきました。そのおかげで、細々ながらも、今も大学で研究・教育活動を続けております。多くの心温まるご指導に感謝するとともに、その経験を社会に還元できるように努めていきます。本当にありがとうございました。そしてこれからもご指導をよろしくお願いします。
所属: 天理大学人文学部社会福祉学科
加護野先生 お変わりございませんか?
今もそちらの人たちに経営学の視点から見る世の中の仕組みを面白可笑しく話をしながら、自分では決して見ることができない圧巻の風景を見せてあげていらっしゃるのでしょうか。何と言っても自称「漫談のできる経営学者」ですから、相変わらずあちこちで呼ばれて、忙しく飛び回られているのでしょうね。
それとも退職後の夢だった「本屋の店主」をしていますか。加護野厳選、本当に読む価値のある経営本しか置いていない本屋さん。店に入るとコーヒーの香りと片手にお菓子を持って読書していた店主が屈託ない笑顔で迎えているのでしょうね。
そのうち先生に気に入ってもらえそうなお菓子とコーヒーを持ってお店に伺います。店が繁盛して店員募集していたらまた、私を雇ってください。
とにかく、仕事に没頭し過ぎて、会いに行った私たちを忘れないようにご自愛くださいませ。森元伸枝
所属: 京都大学客員教授、京都先端科学大学特任教授
2010年前後、加護野先生が得意ネタ(?)とされていた小話・風刺・教訓の多くが下記の講演録に収められていました。
https://kigyoka-forum.jp/wp-content/uploads/2022/04/JES10_04_Kagono.pdf
先生の語り口と笑顔が脳内再生されるようです。
・負けず嫌いの京都の社長
・ハイジャッカーと3人のビジネスマン(日・米・仏)
・銀行強盗とハイウェイ
・「われわれは恐らく不注意な誤りがあったから結婚できた」
・「かまどの灰までおれのもん」
まったくの私事では「こっちの世界もおもろいで」とお声がけいただいたのが一番の財産です。社会人博士課程後期から2007年に学位取得後、三洋電機に戻っておりました。引き続きゼミには出席させていただいていたのですが、その時に頂戴したのが上のお言葉でした。それから大学での職を探しはじめ、以来、49歳から65歳の定年+α、教員を続けさせていただいております。それがなければ、会社人のままキャリアを終えていたことでしょう。
加護野先生、はい、「こっちの世界もたいへんおもろかった」です。ありがとうございます。
所属: 昭和50年代の占部都美先生院ゼミ
若き加護野先生の研究室をお尋ねした時のこと、携帯録音機片手にそのまま原稿になる笑顔の語り口を思い出します。しかし、悲しい阪神大震災の以降にお会いした時には、先生は大震災後のご自宅・大学・地域社会の復興にご苦心の一方、ご研究ご指導など超ご多忙と推察され、いつもの温かい笑顔にいささかの緊張を感じました。その数年後に先生が米国で倒れ重体との報せは非常に悲しかったのですが、見事に克服され、最新のリハビリに取り組まれながらも出席された学会での温かい笑顔に安堵しました。
その生涯に渡って種を蒔かれた加護野先生、いま大輪の無風花自飛を惜しみます。(付記:風無くして花おのずから飛ぶ。バラの花が散るこの一句は、南宋~梁の官僚・文人の柳惲(りゅううん)作。)
所属: 静岡県立大学 教授
私の20代〜30代にかけて、加護野先生から演習時に頂いた薫陶が、間違いなく現在の私の思考の基盤となっています。これからも、先生がいつもおっしゃっていた、実務家から”I see”と言われるような研究に努めます!
所属: トヨタカローラ神戸株式会社
ゼミ1期生です。
満を持してのゼミ開講とあって、当時は学部内でも先生のゼミに入るのは非常に競争率が高いのではと噂されていたのを思い出します。
幸いなことにゼミ生となれたのですが、先生から今回15名のゼミ生を選ぶ基準として ①成績優秀者 ②留学生•女子学生 ③体育会所属 のカテゴリーで考えたとの話を何かの機会で伺った記憶があります。私は体育会に所属していたので、いたく納得した事を憶えています。
個人的には結婚式の仲人をご夫妻で快くお引き受けも頂き感謝致しております。
先生のご冥福をを心よりお祈り申し上げます。
所属: 神戸大学名誉教授
加護野忠男先生は、我が国においてMBAの制度を普及させ、教育界に定着させ、産業界での知的水準の向上に大きく貢献された偉大な研究者です。
所属: 株式会社グローバルマネジメントコンサルティング
加護野先生は、“大阪船場商家”のお生まれであり、日本を代表する経営学者であるが、「原点」は、根っからの“商人道”に通じる生き方でした。
関西企業10数社の次世代リーダー人財が集まり、1年間に亘、組織人事、経営課題を研究発表する「創造的人事研究会」からでした。
また、先生は、ゴルフがお好きで、瀬田ゴルフコース共に楽しくプレーさせて頂きましたことも懐かしい思い出です。
これからの「経営人財教育の在り方」を神戸大学として模索する為に、企業は、「どのような経営人財を求めているのか」、率直な意見を話してほしいと会合への参加の要請がございました。
国立大学として初めての経営大学院(現代経営学専攻)の開校に繋がり、1989年に神戸大学大学院MBAコースの開校となりました。
先生は、笑顔で相手を包み込む、心優しい人望の持ち主で、信頼・尊敬されていました。
加護野先生のような“経営学”の泰斗の先生に直接ご指導頂き、学べたことは、私の生き方の「軸足」となっており、人間力のテーマに基づき拙著を4冊上梓することができました。
現在も経営の第一線で働けるのは、加護野先生のご指導のお陰であり、心から感謝申し上げます。
所属: 慶應義塾大学 名誉教授
私は加護野さんとは神戸大学で行われた組織学会で野中先生の講演が終ったと時に、野中さんの元に駆け寄り、「一緒に共同研究をしましょう」と二人が同時に言葉を交わしたのが初めての出会いでした。それ以来数冊に及ぶ共同研究を行ってきましたが、今でも忘れられないのは「日米経営比較」の研究中、加護野さんが新幹線から日経新聞社に息せき切って飛び込んできて、「出来た。研究の核心が分かった。それはVHSBモデルだ」と叫んだ時のことです。それがのちに英文で翻訳出版されて、たぶん日本による初めての世界への発信だったと思います。私と二人でバルセロナでの国際学会で発表した時には、その発表の前の晩に徹夜で英語による発表の準備をしたことも忘れられません。
加護野さんはいつも会話の中心で皆を愉快に、明るいい研究環境を作ってくれました。しかし、私と加護野君はゴルフを通じて友情を深めました。実は二人とも「下手」なんですが、お互いに競って楽しみました。アメリカ、フランス、日本といろいろなゴルフ場を楽しみました。彼は日本の経営学界の一番星でした。まだまだ大きな仕事を残していきました。本当に心から惜しい人を失ったという感です。
所属: 1995年卒 社会人加護野忠男ゼミ生
1994年(それとも1993年?)だったと思います。神戸大学経営学研究科社会人院生の入試要項を取り寄せ、1994年度の教官のお一人が加護野忠男教授と知りました。そのときの社会人院生の加護野ゼミは2巡目でした。
たいして頭がよくない私は、まともに入学試験を受けても落ちると思い、浅はかにも加護野先生に手紙を書いて送ったのです。どういう内容で書いたか、今となっては記憶が定かではありませんが、つまり「どうしても加護野ゼミに入りたいから、加護野先生とお会いできないか」という趣旨だったと思います。直にお会いし入学を直訴しようと思ったのです。
加護野先生からお返事をいただきました。「入試前にお会いすることは叶いませんが、試験頑張って下さい」という常識通りの返信でした。
入試の面接時、これも記憶が不確かですが、加護野先生ご本人と、もう一人事務方の男性がいらっしゃったと思います。ここでも加護野先生は、指導教官らしく、私がお送りした手紙のことには一切触れられませんでした。しかし加護野先生の目が、「あなたが、ゼミにどうしても入りたいと願ってる人やな」とおっしゃっている気がしました(ほんとうに、そのように思えました)。
果たして、私は試験に合格し加護野ゼミに入れました。
卒業して何年か経って、加護野先生と二人で話しているとき、上述の手紙の思い出話となって、「平野くんは、善い戦略をとったな」とおっしゃいました。続けて「試験結果は参考程度や。肝心なのは、当人の人生の切実度。あらかじめそれを伝えて来たのはあなただけだった。だからゼミに入ってもらおうと思ってた」と言って下さったのです。
今でもこの秘話を言葉にすると、涙が流れます。
所属: 静岡文化芸術大学
加護野先生の訃報に接し、寂しい想いでいっぱいです。深謝申し上げます。
初めて研究会にお邪魔した20年以上前、衝撃を受けました。定性、定量等多彩な院生のテーマに対し、的確な助言、何より読書量や知識が凄く「この本を読んだか」とアイデア含め次々に出てきます。こうして私も20代から先生と共に研究や仕事も一緒にさせて頂いた事が私の財産です。そして常に励まし下さり、それがあって今の自分があり感謝の想いで一杯です。先生の真骨頂は独自視点から「漫談」とも称される笑いを随所に交えて難しい話を明確に伝えて下さる。そして研究テーマの1つでもあった人材育成です。先生の下で学び、研究者になった方は先生曰く約60名との事で、過日、教育上心掛けた事について窺いました。先生は「研究養成で一番大事なのは自分自身が興味を持っているテーマを学生に与える。そうすると学生も真剣になる」と。昨年12月25日にお会いした際、「私は51歳で倒れた。曽根君は今何歳や?47歳か。そろそろ倒れるな」と。先生流の気遣いでした。宿題も頂戴し最後まで学ばせて頂きました。「愚直」「日々発見」を胸に精進して参ります。先生、大変有難うございました。
私は1990年卒業の経済学部生でしたが、当時は経営学部の単位を幾つか取らないといけませんでした。出席取らない講義には出ない典型的な体育会の学生だった私が、加護野先生の経営学総論には通っていました。当時のテキストだった「ゼミナール経営学」は、大学生時代に唯一完読したテキストです。30年近くの後に社会人大学院や、企業向けセミナーでも講義を拝聴する機会がありましたが、平易な表現と時折混ぜるエピソードを面白おかしく話される講義に再び聴き入ってしまいました。もうあの名講義を聴くことが出来ないのは残念ですが、残された著作でお考えに触れることは出来ますよね。個人的には「経営は誰のものか」が私のなかではベスト。御冥福をお祈りしながら、読み返してみようと思います。
所属: 2022年卒 社会人MBA小川進ゼミ
数々の斬新なアイデアを発信され、それらはこれからも経営学の礎になるものです。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 1995年卒 社会人加護野忠男ゼミ生
加護野忠男先生の名言➀
加護野忠男ゼミで、加護野先生のレクチャーを受けているとき、「ご自身が書かれた論文やご著書は、加護野先生にとって、どのようなものでしょうか」と尋ねたことがあります。
私が想像していた回答は、「自分の書いた論文や著書は、経営学の知見のデータベースで、脳から外のハードディスクに格納することで、必要時にいつでも取り出せるようなもの」でした。
ところが加護野先生は、「金魚の糞みたいなもんや」とおっしゃいました。自分の書いた論文や著書は金魚の糞みたいなもの? 当時、私は若造でしたので、加護野先生のご発言の真意がわかりませんでした。
あのとき、続けて加護野先生は、「学者にとって、いま解けない問題を考えることが価値である」と言われました。
今となっては、「金魚の糞」とは、「自分で書いた論文や著書は、たしかに自分の思考から出たものではあるけれど、その後それは排泄物であり、解けた問題は学者には関心が向かないもの」であるぐらいの意味と思っています。
所属: 久留米大学商学部
加護野先生のお言葉の中でもとりわけ印象に残っているのは、私が博士論文を書いていた時にいただいた、研究結果の見せ方についての次のようなお言葉です。
「いいか。結果を見せるにしても見せ方をよく考えろ。頭上に掲げてからそっと机の上に置くのか、ポケットから取り出してポンと置くのか、引き出しから引っ張り出してドンと置くのか」
このお言葉を胸に刻んで、これからも研究に励みたいと思います。先生、ありがとうございました。
所属: 伊藤忠商事
私は高校生の時に先生の名著「企業のパラダイム変革」を読み、神戸大学を志望しました。入学後は当然先生のゼミに入りたかったのですが超人気ゼミであり、成績不良の私は無理だろうと思っていましたが、体育会枠?が有ったのか(真偽不明)何故かゼミ生になることが出来ました。在学中は大した貢献も出来ず、卒業後もほぼご無沙汰をしていたのですが、加護野ゼミはやはり有名で仕事で関係した方々から、知ってるよ、そうなの?すごいね、と勝手に優秀な学生だったと勘違いされたこともありました。
時間が出来たら久しぶりに六甲台に登って先生をお偲びしたいと思います。ありがとうございました。
所属: 学校法人エール学園
加護野先生のミッションが素晴らしかっただけに聞けなくなって本当に残念です。人を大切にする経営のお話が多かったので、自分の経営に活かすことができていました。先生のお話しされる内容もミッション性があり、引き込まれる内容が多かったように思います。ジョブ型人事制度も批判的におっしゃっておられましたが、私もこの制度は納得できていなかったので、先生のお言葉はとても私は勇気づけられました。先生の著作も一貫性があり興味深く読ませて頂きました。先生の存在は社会的にも影響力は大きく、お亡くなりになられてしまっては残念で仕方ありません。先生のお考えはきっとNPOには賛同頂けると思い、NPO大学院の設立の時、ご自宅に訪問させて頂き、ご支援をお願いしたところ、心よくお引受け下さました。そのような思い出を懐かしく思い浮かべております。加護野先生のご冥福を心よりお祈り致しております。
先生が廊下で数人に、娘さんの家庭教師を探してんねん、とおっしゃたので、あ、ぼくやりますよ、と言うと、きみはええわと即答されました。
ビールの飲み比べをした時、スーパードライをのんで自信満々にこれはラガーだと豪語してしまいました。
こんな不肖の私ですが、先生のゼミ生だったことは生涯のいやわが家の誇りです。
所属: 大妻女子大学教授 上智大学名誉教授
加護野先生と1985年に初めてお目にかかってから40年が経ちました。最初の大学院生として修士課程へ入学するにあたり、新進気鋭の神戸大学助教授として多方面で声望が上がっていた先生に、事前にご挨拶しようと伺った研究室での第一声は「歓迎するわ。研究テーマは改めて相談しましょか」という簡潔でビジネスライクなものでした。7年間の企業勤務を終えて入学する私にはそれが非常に心地よく響き、象牙の塔の中にいて権威主義的とみられることもある大学の先生のイメージを少し変えたことを記憶しています。研究室の院生や若手研究者はあの笑顔とともに飾らず、ユーモアを交えた心に響くアドバイスをいくつも頂いたはずです。時にその笑顔は時に辛らつな言葉を和らげるものでもありました。「鳴かず飛ばずやな」「サムシング・ニューがある研究でないとな」。調査研究を第一に考え、経営学の新しい地平を切り拓いてきた先生は、研究で得た新しい知見を世に問うことを求める厳しさも持ち合わせていました。加護野先生、長きにわたりありがとうございました。いくつもの研究プロジェクトをご一緒に進め、世に問えたことは何よりの幸せでした。ご冥福をお祈りいたします。
所属: 神戸大学名誉教授
加護野さんは学部・大学院の3年後輩ですが、大学院生の研究室、そして学部・大学院の教員にご就任後の研究室が私の部屋に近かったこともあって、とても親しくしていただきました。いまでは考えられないことですが、統計分析パッケージの利用のため、京大の大型計算センターまで何度もご一緒して行き帰りにいろんなお話しをさせていただいたのを思い出します。
加護野さんの豊かな発想力や実行力は誰もが認めるところです。私も多くを学ばせていただきました。私が関わった学部・研究科の改革だけに限っても、現代経営学研究会(現 現代経営学研究所)の創設やMBAプログラムの開設・改変などに尽力していただきました。後者では、別の案もあったのですが、ゼミ指導を一つの柱とすることを彼が提案したのです。
加護野さんの別のパワーはたくましい生命力というかその精神力にあります。スタンフォードで倒れたとの報に接して、学長の紹介で現地滞在中の医師に電話して容態をききましたが、とても厳しいものでした。でも、彼は帰国後入所していたケア施設から電話してくれたのです。得津一郎さんと一緒に面会に行きました。すごい精神力でリハビリの効果を上げたのです。それだけではありませんでした。復帰後もあらゆる手を尽くして、運動能力の改善に努めたと聞いています。住吉からJRと京都市営地下鉄に乗って京セラの子会社まで何度もご一緒するまでに改善したのです。最近まで私自身も年に数回お目にかかっていましたし、仲間からもそうしたとの知らせを受けていました。それが突然のお別れ、とてもショックでした。
加護野さん、どうもありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。
私が卒業を控えた1975年1月下旬に、当時あった学部生の論文誌『神戸経営』への投稿原稿をゼミ指導教員の故占部都美先生にお見せしたところ、大学院生の加護野君を紹介するので指導してもらうようにと指示を受けました。知人のゼミ幹事からは以前「院ニ加護野アリ」との評判を聞いたことがあり、どんな方かと興味深々でお会いしました。まず拙稿に目を通されて「これから述べることを書き留め、原稿を修正するように」と言われ必死で書き取りました。さらに文章の修正を赤ペンでして頂きました。「忙しいから」と20分間位のご指導でしたが、その速さと鋭さに驚きました。
卒業後は総合商社で24年間勤務後、大学で教鞭をとりたいと考え1999年に早期退職を決意し加護野先生に相談に伺ったところ、ご自分の研究室で勉強をすればよいと快く受け入れて頂きました。紙面の制約上詳細は控えますが、結局、加護野先生のお陰で、2023年まで大学教員として勤務することができました。小生を含め、加護野先生が学生に大学教員の道を開いた人数は、100名は下らないのではと想像しています。加護野先生、本当に有難うございました。ゆっくりお休みください。
所属: 経営学部 占部都美ゼミ所属 18回生
加護野さん、今どちらの地で楽しまれているのでしょう。年末、貴方がそちらの世界に旅立たれる少し前、「2025年こそは、じっくりとサシの話合いをしたい」と心の準備をしていた矢先、貴方は彼岸の地に向かわれました。「まさか。冗談でしょう」と思いました。しかし、直ぐに分かりました。あなたの死去は本当だったのです。貴方のどの部分に得難い魅力があり、私が惹かれていたのか。それは、貴方の生き方の中に、また、その多くの書籍においても、いつも、現状を打破したいという、ある種の強い「挑戦」 意欲といったものを感じていたからです。挑戦意欲は、概ね、”老い“とともに弱まっていくのが一般的ではないでしょうか。しかし、貴方の場合は、一貫して、自身のチャレンジ精神を維持し、ときに強めていたと思うのです。ところで、亡くなる直前まで奥様やご家族とクリスマスの過ごし方について談笑されていたとか。貴方の神様は何故に貴方を連れ去ったのでしょうか。意地悪ではありませんか。彼岸の地から、先ずは奥様、そしてお子様たちのこれからを、これまで以上に見守ってあげて下さい。そして、いつの日か機会を得て、私とサシで話を致しましょう。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
先生からは、ユーモア溢れる経営漫談から、経営学について様々なことを学ばせていただきました。
数ある漫談のなかでも私のお気に入りは、人が豚を食べるようになった時のエピソードです。中国での話だったと思いますが、それまで豚を食べる習慣がなかったのに、たまたま豚を飼っていた家が火事になったとのこと。焼け跡で丸焦げになった豚を恐る恐る食したところ、あまりにも美味しかったので、それ以来、人は豚が食べたくなったら、家に火をつけて回るようになったとのことです。
真偽のほどは分からないですが、大学院に進学し、最初に履修した経営学特論の授業でそのようなお話をされておられました。
最初は意味がよく分からなかったのですが、経営学研究において、たまたまうまく行っている経営手法(家を燃やす)を発見するだけでは十分とは言えず、それがどのようなメカニズムでよい結果をもたらすのかということを解明することの重要性を教えてくださっていたのだと、ずいぶん後になって理解しました。
経営学者を志す出発点で、とても重要なことを教えていただいたと思っております。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 経済学部1970年卒業(元三菱商事株式会社)
加護野君とは同期で、1966年に入学した。経営と経済と学部は違ったが、教養部の百々和(どど・かず)先生(のちに経済学部教授)を指導教官とするグループで一緒になった。お互いに大阪市内の出身で、何となくウマが合い仲良くなったが、すでにそのころから存在感のある男だった。
百々先生には、読書会や旅行、コンパなどを通じてご指導いただき、今も感謝の思いが消えることはない。若狭高浜への海水浴旅行で、先生や加護野君たちと一緒に砂浜で撮ったモノクロ写真が残っている。
卒業後はそんなに頻繁には顔を合わせていないが、京都、奈良、神戸を巡った新婚旅行で、家内を六甲台に連れて行った時に構内で出くわしたり、丸の内の東京會舘でバッタリ出会ったりもした。2002年ごろに大阪で凌霜18回の同期会を立ち上げた時には、顔を出してくれたし、その後も出席してくれていた。
かつて東京で何度か開かれた百々グループ・ゼミOBOGの会合で百々先生にお目にかかって、加護野君のことに触れると、「彼は話が上手だからねえ」と、目を細めながら仰っておられたことを思い出している。
心からご冥福をお祈りいたします。
所属: 1990年卒業
『加護野ゼミ卒です』
この言葉を口にするたびに、誇らしい気持ちとともに身の引き締まる想いが胸に宿ります。そして、先生のあの笑顔を思い出します。これからも、これは変わらりません。
ありがとうございました。
ご冥福を心からお祈りします。
加護野ゼミ4期生の狭間です。
先生と行ったグアムへのゼミ旅行は私にとって、初海外かつゴルフデビューの旅でした。
ここでは書けないですが、入国時のエピソード含め、楽しい思い出として今でも思い出すことがあります。
また卒業後も会社で講演をいただいたりして、お世話になりました。
本当に有難うございました。
所属: 関西学院大学商学部
加護野先生お元気でしょうか。天国or極楽でごゆっくりご研究されていることと思います。
大学院について何もわかっていないまま、愛媛からやってきた一学生を粘り強く育てていただき、なんとか独り立ちさせていただいた、このご恩を感じながら研究を続けている今日この頃です。
学びのコミュニティ=実践共同体の研究という現在のテーマに行き着いているのは、「他の院生が誰もやらないテーマがあるんやけど、興味あるか?」と、認知科学から見るスキルの研究というテーマをご提示いただいたのがはじまりです。そこから二宮金次郎よろしく他分野の論文を図書館で探して背負って帰ってコピーするという奇行的研究に携わりましたが(当時は電子ジャーナルはありませんでした)、学際的に知見を結集して学術的な突破口を見いだすという、現在の研究手法につながっております。先生のご慧眼に感謝しております。
他の先生方が研究関心やテーマを継承しておられる中、私は「人前に出たら笑いをとるという姿勢」だけを受け継いで(笑いをとれるとはいってない)、日々がんばっております。遠からずそちらに参りますので、またどうかご指導ください。よろしくお願いいたします。
所属: 公益財団法人関西生産性本部
ご一緒した最初のプロジェクトは「ミドルが書いた日本の経営ー和英対訳」(日本経済新聞社)です。1980年代は、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代で、海外駐在の人たちから、「なぜ日本の経営が上手くいっているのか教えて欲しい」と聞かれることが多いのだが、上手く説明できない、テキストがないかとの要請があり、それに応えるために、加護野助教授にリーダーになってもらい、関西の主要企業のミドルや労働組合のリーダーからなる専門委員会を設置しました。なぜ上手くいっているかというようなことは、委員にもわからないので、実際現場ではどのようなことが行われているのかを説明することにしようと、2年間に20回以上の会合を重ねました。英訳は久保田鉄工の岡田晴雄さんと神戸大学のクリフ・ゴールストン講師にやっていただきました。出版記念を兼ねて「訪米経営戦略調査団」を編成、委員が参加できるように、委員派遣会社に働きかけましたが、参加できたのは加護野助教授と積水化学の村山国際事業本部企画管理部長と事務局の私だけでした。団長の松下電器の原田副社長は、ニックネームをつけるのが得意で、加護野先生はProfessor3S。Sience of Standing Sleepです。訪問先の説明を、寝ながら、立って聞いていたことに原田団長が気づいたのです。帰国後、訪問先の3Mでの新規事業創造にヒントを得て、これも加護野先生にコーディネーターになってもらい「社内起業家塾」を立ち上げました。思い出は尽きません。感謝、感謝、感謝です。安らかなご永眠を 心からお祈り致します
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
ご冥福をお祈り申し上げます。
いつもそうなのですが、加護野先生の語り口は、大御所の落語家の語り口に近いものがあったと感じています。聴く者を飽きさせない話でした。
あるとき、私がMBA教務委員の立場で運営したコロナ禍下のオンライン・イベントでしたが、加護野先生からご講演をいただいたことがありました。
持ち時間をオーバーしていましたが、先生の話がなかなか終わらず、しかし、進行上の都合でどうしても私が腹を括って止めなければならないことがありました(これは実に損な役回りだと思います)。
ある先生からは「本当はもっと加護野先生の話を聞きたかったなぁ」と後から言われたものですが、私だって「そら、そうよ」と思ったものです。
止めないほうがよかったのではないかと、あれこれ思い返して今さらながら悩みます。加護野先生、申し訳ありません。
所属: (元)名古屋市立大学
私は社会人を経て大学院に入学し、後期課程で加護野先生の研究指導をしていただきました。当時加護野先生は助教授で私が最初の大学院生だったのですが、当時、先生は気鋭の経営学者で、企業へのヒアリングなどに連れて行っていただきました。成熟企業の研究をしておられたとき、野中先生と加護野先生が新日鉄に行かれたときに同行させていただいたのですが、粗鋼生産量のピークがたしか74年で、ヒアリングに行ったのが87年頃だったと思いますが、先生が「74年がピークだというのにいつ気が付きましたか?」と質問して、副社長がまだピークとは思っていませんと返答されました。この話が、「企業のパラダイム変革」(講談社現代新書)と「組織認識論」(千倉書房)になるのですが、この本の原稿の段階から見せていただいて、いっしょに議論を重ねて、本としてまとまっていく段階を共有させていただいたのは、最高の研究指導だったと思います。
当時先生は、大学の近所にお住まいで、先生の印鑑をいただくためにご自宅に電話しましたが、奥様から「現在そちらに進行中です」とおっしゃられて、すぐに来られましたが、あのときはご自宅におられたのかなと思っていました。文献を読むだけでなく、現場をしっかり見ることを後ろ姿で教えていただきました。ありがとうございました。
所属: ファミリービジネス
知の巨人の加護野忠男先生いろいろと人生を語ったこと懐かしいです。楽しかったです。異論を唱える同世代の私に是非、東京の学会に行こうと誘ってもらいました。でも固辞したこと悔やんでいます。
「まなびすと」の私と真剣に接して戴き有り難かったです。多くの気づきを戴きました。有難うございました。感謝申し上げます。
もっと議論したかったです。また議論しましょう。待っていて下さい。 合掌
所属: 大阪大学大学院医学系研究科
私は神戸大学MBA修了生(2008年:栗木ゼミ)です。加護野先生に初めてお会いしたのは入学前のイベントでした。先生は大阪弁で、会場をドカン!と笑わせ、まるで「漫談」と錯覚する雰囲気が印象的でした。入学後も修了後も、可能な限り先生のご講演には伺いました。高商がまず神戸に決まった経緯、日本一の住吉村、舌三代の話等、本当に色々教えていただきました。そんな私が一度だけ、直接、先生にフォーラムの基調講演をお願いしに伺ったことがあります。先生は「どうしようかな・・・」と考えておられました。「また追って詳細を」とその場を失礼しました。しかしながら、個人的事情でその後のご連絡ができず、現在に至ってしまいました。そのご無礼をお詫び申し上げようと何度か模索しましたが、残念ながらかないませんでした。今更ながら本当に申し訳ございませんでした。何卒ご容赦ください。「懐徳堂は世界最古のビジネススクールであり倫理を教えていた」「臆することなく規範的研究を」私は全く大した人間ではないですが、先生のお言葉を胸に刻み、微力ながら頑張る所存です。これまで本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
所属: 有限会社KBC 代表取締役
94年入学の社会人院生です。1年でMBAを取得するモルモット年度でしたが、その後1年半に収斂したことは私たちの代が失敗作であったことの証左?(笑)。在学中はもとより、修了後の多くの機会を通じて加護野先生語録は増え続けました。最も印象に残っているのは「嘘はついてもだますことなかれ」という「江戸秘伝職養道のすすめ」(佐藤六龍)を出典とする教えです。水槽に飼っているカマスに餌をやるとき、間を透明なガラスで仕切っておき、餌が食べられないことを学習したカマスはガラスを取り出した後も餌に食い付かなくなるという話しは、多くの方が聞いたことあると思います。まるっきり嘘の話しだけど、部長クラスを前にした講演で披露し、あほなカマスやと笑っているあなたが会社でこのガラスになっているのですよと、ど真ん中から突き刺すことは騙していることにはならないと高笑いされていました。そもそもカマスは水槽で飼えません。國部先生の問いかけにレスします。ヨーロッパ古語でmanは手を意味し、そこから馬を手懐けるに繋がったところまでは事実で、妻の部分は加護野先生が得意とされた一流の創作落語では?というのが私の仮説的見立てです。
先生には、どれだけお世話になったか言葉にできません。
最初に先生にお会いしたのは、たぶん先生が40代のころで、先生が何かの司会をされていたセッションでしたが、
明るいオーラがあふれていらっしゃいました。ぜひこの先生に大学院のことを、ご相談したいと思いました。
私がもう少しで博士をという時に、先生が倒れられました。
あの時は、どうしようかと思いましたが、その後
お元気にお戻りになり、本当にうれしく思いました。
私が博士号を取得後も、ゼミに参加させていただいたり、思い出がたくさんあります。
先生のコメントはいつも大変興味深く、本当に勉強になりました。
ということで、ありし日の先生の元気なお姿をとてもなつかしく思っております。
心からご冥福をお祈りいたします。
所属: 関西学院大学
当方と加護野忠男先生の関係は、1991年春の研究室入りにさかのぼります。博士論文でお世話になったり、教科書を一緒に編ませて頂いたり、ビジネスパーソン向けの研修でご一緒したり、あるいは、何週間も(奥様もご一緒に)スペイン珍道中をさせて頂いたり、、、本当に長い時間をご一緒させて頂きました(そのおかげで「名言」だけでなく、ここには決して書けない数々の「迷言?」も、、、書きたいのは山々ですが、やはり決して書けません)。
先生からは本当に多くのことを学ばせていただきました。世の常識などを「ほんまか」という視点で見る大切さ、分析や議論の結果が本当に腹落ちするものか、「ふにおちるか」の大切さなどなど。常識に流されやすい自分、表面的な分析や議論で終わってしまう自分にとって、「ハッ」とさせられることばかりでした。先生は、こうした「ほんまか」「ふにおちるか」などの視点の大切さを、独特の話術で大爆笑をとりながら世に伝え続けられた研究者(兼 経営漫談家)でいらっしゃいました。まだまだ、書きたいこと(そして書けないこと)は本当に山のようにあります。
加護野先生が安らかに眠られますようお祈りいたします。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
ゼミ生ではないにも関わらず、大学院時代から最近まで本当にたくさんの鋭いコメントやユーモアのある言葉、面白いエピソードや話を聞かせていただきました。拙著「関わりあう職場のマネジメント」が賞を受賞した際には、「まだちゃんと読んでないが良い本だった」と言っていただいたあとに「(薄い本で受賞とは)コストパフォーマンスのええ本やな」と、先生らしい言葉で褒めて?いただいたことを思い出します。そしてたくさんの言葉や話と同時に、いくつかの「こういう研究をしてほしい」との研究の宿題もいただきました。なんとかこれから宿題に応えるようがんばっていかねばと思っているところです。先生、本当にありがとうございました。
所属: 積水ハウス株式会社
[加護野先生の名言]
加護野先生は長らく弊社のCSR委員を務めていただき、アカデミックなアドバイスだけでなく、多くの企業の経営支援に携わったご経験から興味深い実例・エピソードを頂戴いたしました。弊社から社用車でご自宅までお送りしたことも何度かあり、車中でご一緒した時間は本当に貴重でした。
今でも鮮明に記憶していて、クスッと笑える事例をご紹介いたします。
・神戸の本当の金持ちはエアコンというケチなものを自宅に設置しない。六甲山上からパイプを敷設し、山上の冷気を楽しんでいた。
・犯罪人が車で高速道路を逃走中との情報を得て、パトカーが探していたが、犯人の車はすぐに判明した。1台だけが法定速度を遵守し、おとなしく
目立たないように走行していたのだ。
本当に残念です。衷心よりご冥福をお祈りいたします。
所属: 株式会社チャイルドハート 代表取締役
2000年に立ち上げたベンチャー企業であるチャイルドハートに、いつも多様な視野で貴重なご助言や、ご指導いただき、ありがとうございました。
先生のお言葉は、経営のたくさんのヒントになりました。
これからも、空の上から、いつもの優しい笑顔で、会社を見守っていてください。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
私は1995年に神戸大学経営学部に赴任して間もないころ、加護野先生が主宰されるビジネスマンのための朝食会での講演を頼まれたことがあります。ホテルの豪華な朝食を前にして、どれから手を付けようかと思っていると、隣の加護野先生が「(ご飯の)お代わり!」と言われたのを聞いて、この先生には勝てないと思いました。
加護野先生からは多くのことを学びましたが、特に印象に残っているのは、経営学(management)の語源は「馬と妻を飼い馴らすこと」というものです。どちらも非常に飼い馴らしにくいものを、飼い馴らすには相当な技術が必要で、それがmanagementの語源であるということは、経営の根本を示していると感銘を受けました。
最近はジェンダーの問題もあるので、私がこの言葉を紹介するときは、女性から見たら「馬と夫を飼い馴らすこと」と付け加えていますが、妻と夫では飼い馴らす難易度が違うはずなので、加工しない方が良いかもしれないと感じています。しかし、managementの語源を自分で調べても「馬」を飼い馴らすところまでは文献から出てくるのですが、「妻」の部分は見つけることができません。ご存じの方がおられたら是非教えてください。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科
在外研究中のハノイにて、訃報を耳にしました。
その時は、驚きを禁じ得ませんでした。正直に言えば、今もまだ、実感を持てないままです。「高校時代に通っていた学習塾のパンフレットで先生のお名前と共に経営学という学問の存在を知ったこと」「組織認識論を読んだ時の衝撃」「私たちが書いた学術書籍に書評を書いてくださったこと」など、書きたいことは山ほどありますが、1つに絞りたいと思います。
私が大学院生の頃、先生が担当されていた科目の学生さんを対象に、私の博士論文に関わるアンケート調査をさせていただいたことが、先生との最初の直接的なやりとりでした。「従業員と組織の間の心理的契約」に関わる調査だったのですが、その内容をMBAの学生さんたちに説明するにあたって先生は、「神戸洋菓子産業における取引ネットワーク」の話からはいり、「取引業者間で共有されている不文律」の話へと展開し、最終的に、「日本企業を支えていたのは、(雇用者と従業員を含めた)人と人との間の書かれざる契約である」というように話を着地させておられました。「心理的契約」という言葉など聞いたことすらなかった受講生の皆さんですが、気づいたら、この概念の良き理解者であり、調査への積極的な協力者へと変貌していました。現実と理論とを瞬時に結びつけ、かつそれを、聞く人の心に響く言葉やエピソードへと、笑いを交えつつ変換する、一流の研究者の仕事を見た瞬間でした。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
所属: 神戸大学大学院経営学研究科教授
私は学部で加護野先生、大学院で谷武幸先生のゼミに所属しました。博士課程では、加護野先生のご紹介で京セラのアメーバ経営を研究しました。1999年、二人の恩師との共著で『アメーバ経営が会社を変える』という本を出版できました。これは私にとって最大の喜びです。
その2年前、私の最初の単著論文について加護野先生と相談しました。「アメーバ経営によるエンパワメント」で書きたいと伝えたら、「アホか。アメーバ経営という謎のものを、エンパワメントいう謎の外国語で説明しても誰もわからんで。日本語で言え」と叱られました。私が「権限移譲は?」と尋ねたら、加護野先生からは「それは中国語や。大和言葉で言え」。あれこれ案を出し、「任せる」でやっとOKいただきました。
加護野先生の文章や講演は誰にもわかりやすく、心に真っすぐ入るし、メッセージはいつまでも残ります。私たちはついつい格好つけて最新の概念や流行の言葉に飛びつきますが、そうじゃないんですよね。その言葉、言ってる本人も本当はわかっていません。今では私も加護野先生を真似て学部生やMBA生に「大和言葉で言え」をやっています。伝えるとはそういうこと。一生モノの教えをいただきました。