加護野先生は学生、研究者、実務家に対して多大な影響を与えてくださいました。先生からいただいたご指導やお言葉は私たちの宝物です。せっかくの宝物を多くの人と共有できればと考えました。そこで、加護野先生との忘れられない思い出や楽しかったエピソード、加護野先生の名言、加護野先生から受けた影響などを、ぜひこちらのフォームからお寄せ下さい。また、皆さまからお寄せいただいたメッセージをどうぞご覧ください。

メッセージはこちらからご覧ください

なお、お寄せいただいたメッセージは、お別れの会当日に、ご紹介させていただく場合がありますのでご了承下さい。

問い合わせ先:(神戸大学大学院経営学研究科研究助成室)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

入力文字数:

メッセージ一覧

  1. 谷 武幸 より:

    所属: 神戸大学名誉教授

    加護野さんは学部・大学院の3年後輩ですが、大学院生の研究室、そして学部・大学院の教員にご就任後の研究室が私の部屋に近かったこともあって、とても親しくしていただきました。いまでは考えられないことですが、統計分析パッケージの利用のため、京大の大型計算センターまで何度もご一緒して行き帰りにいろんなお話しをさせていただいたのを思い出します。
    加護野さんの豊かな発想力や実行力は誰もが認めるところです。私も多くを学ばせていただきました。私が関わった学部・研究科の改革だけに限っても、現代経営学研究会(現 現代経営学研究所)の創設やMBAプログラムの開設・改変などに尽力していただきました。後者では、別の案もあったのですが、ゼミ指導を一つの柱とすることを彼が提案したのです。
    加護野さんの別のパワーはたくましい生命力というかその精神力にあります。スタンフォードで倒れたとの報に接して、学長の紹介で現地滞在中の医師に電話して容態をききましたが、とても厳しいものでした。でも、彼は帰国後入所していたケア施設から電話してくれたのです。得津一郎さんと一緒に面会に行きました。すごい精神力でリハビリの効果を上げたのです。それだけではありませんでした。復帰後もあらゆる手を尽くして、運動能力の改善に努めたと聞いています。住吉からJRと京都市営地下鉄に乗って京セラの子会社まで何度もご一緒するまでに改善したのです。最近まで私自身も年に数回お目にかかっていましたし、仲間からもそうしたとの知らせを受けていました。それが突然のお別れ、とてもショックでした。
    加護野さん、どうもありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。

  2. 政岡 勝治 より:

     私が卒業を控えた1975年1月下旬に、当時あった学部生の論文誌『神戸経営』への投稿原稿をゼミ指導教員の故占部都美先生にお見せしたところ、大学院生の加護野君を紹介するので指導してもらうようにと指示を受けました。知人のゼミ幹事からは以前「院ニ加護野アリ」との評判を聞いたことがあり、どんな方かと興味深々でお会いしました。まず拙稿に目を通されて「これから述べることを書き留め、原稿を修正するように」と言われ必死で書き取りました。さらに文章の修正を赤ペンでして頂きました。「忙しいから」と20分間位のご指導でしたが、その速さと鋭さに驚きました。
     卒業後は総合商社で24年間勤務後、大学で教鞭をとりたいと考え1999年に早期退職を決意し加護野先生に相談に伺ったところ、ご自分の研究室で勉強をすればよいと快く受け入れて頂きました。紙面の制約上詳細は控えますが、結局、加護野先生のお陰で、2023年まで大学教員として勤務することができました。小生を含め、加護野先生が学生に大学教員の道を開いた人数は、100名は下らないのではと想像しています。加護野先生、本当に有難うございました。ゆっくりお休みください。

  3. 藤猪正敏 より:

    所属: 経営学部 占部都美ゼミ所属 18回生

    加護野さん、今どちらの地で楽しまれているのでしょう。年末、貴方がそちらの世界に旅立たれる少し前、「2025年こそは、じっくりとサシの話合いをしたい」と心の準備をしていた矢先、貴方は彼岸の地に向かわれました。「まさか。冗談でしょう」と思いました。しかし、直ぐに分かりました。あなたの死去は本当だったのです。貴方のどの部分に得難い魅力があり、私が惹かれていたのか。それは、貴方の生き方の中に、また、その多くの書籍においても、いつも、現状を打破したいという、ある種の強い「挑戦」 意欲といったものを感じていたからです。挑戦意欲は、概ね、”老い“とともに弱まっていくのが一般的ではないでしょうか。しかし、貴方の場合は、一貫して、自身のチャレンジ精神を維持し、ときに強めていたと思うのです。ところで、亡くなる直前まで奥様やご家族とクリスマスの過ごし方について談笑されていたとか。貴方の神様は何故に貴方を連れ去ったのでしょうか。意地悪ではありませんか。彼岸の地から、先ずは奥様、そしてお子様たちのこれからを、これまで以上に見守ってあげて下さい。そして、いつの日か機会を得て、私とサシで話を致しましょう。

  4. 梶原武久 より:

    所属: 神戸大学大学院経営学研究科

    先生からは、ユーモア溢れる経営漫談から、経営学について様々なことを学ばせていただきました。
    数ある漫談のなかでも私のお気に入りは、人が豚を食べるようになった時のエピソードです。中国での話だったと思いますが、それまで豚を食べる習慣がなかったのに、たまたま豚を飼っていた家が火事になったとのこと。焼け跡で丸焦げになった豚を恐る恐る食したところ、あまりにも美味しかったので、それ以来、人は豚が食べたくなったら、家に火をつけて回るようになったとのことです。
    真偽のほどは分からないですが、大学院に進学し、最初に履修した経営学特論の授業でそのようなお話をされておられました。
    最初は意味がよく分からなかったのですが、経営学研究において、たまたまうまく行っている経営手法(家を燃やす)を発見するだけでは十分とは言えず、それがどのようなメカニズムでよい結果をもたらすのかということを解明することの重要性を教えてくださっていたのだと、ずいぶん後になって理解しました。
    経営学者を志す出発点で、とても重要なことを教えていただいたと思っております。
    心よりご冥福をお祈り申し上げます。

  5. 崎島 一彦 より:

    所属: 経済学部1970年卒業(元三菱商事株式会社)

     加護野君とは同期で、1966年に入学した。経営と経済と学部は違ったが、教養部の百々和(どど・かず)先生(のちに経済学部教授)を指導教官とするグループで一緒になった。お互いに大阪市内の出身で、何となくウマが合い仲良くなったが、すでにそのころから存在感のある男だった。
     百々先生には、読書会や旅行、コンパなどを通じてご指導いただき、今も感謝の思いが消えることはない。若狭高浜への海水浴旅行で、先生や加護野君たちと一緒に砂浜で撮ったモノクロ写真が残っている。
     卒業後はそんなに頻繁には顔を合わせていないが、京都、奈良、神戸を巡った新婚旅行で、家内を六甲台に連れて行った時に構内で出くわしたり、丸の内の東京會舘でバッタリ出会ったりもした。2002年ごろに大阪で凌霜18回の同期会を立ち上げた時には、顔を出してくれたし、その後も出席してくれていた。
     かつて東京で何度か開かれた百々グループ・ゼミOBOGの会合で百々先生にお目にかかって、加護野君のことに触れると、「彼は話が上手だからねえ」と、目を細めながら仰っておられたことを思い出している。
     心からご冥福をお祈りいたします。

  6. 池内 克年 より:

    所属: 1990年卒業

    『加護野ゼミ卒です』
    この言葉を口にするたびに、誇らしい気持ちとともに身の引き締まる想いが胸に宿ります。そして、先生のあの笑顔を思い出します。これからも、これは変わらりません。

    ありがとうございました。
    ご冥福を心からお祈りします。

  7. 狭間 洋 より:

    加護野ゼミ4期生の狭間です。
    先生と行ったグアムへのゼミ旅行は私にとって、初海外かつゴルフデビューの旅でした。
    ここでは書けないですが、入国時のエピソード含め、楽しい思い出として今でも思い出すことがあります。
    また卒業後も会社で講演をいただいたりして、お世話になりました。
    本当に有難うございました。

  8. 松本雄一 より:

    所属: 関西学院大学商学部

    加護野先生お元気でしょうか。天国or極楽でごゆっくりご研究されていることと思います。
    大学院について何もわかっていないまま、愛媛からやってきた一学生を粘り強く育てていただき、なんとか独り立ちさせていただいた、このご恩を感じながら研究を続けている今日この頃です。
    学びのコミュニティ=実践共同体の研究という現在のテーマに行き着いているのは、「他の院生が誰もやらないテーマがあるんやけど、興味あるか?」と、認知科学から見るスキルの研究というテーマをご提示いただいたのがはじまりです。そこから二宮金次郎よろしく他分野の論文を図書館で探して背負って帰ってコピーするという奇行的研究に携わりましたが(当時は電子ジャーナルはありませんでした)、学際的に知見を結集して学術的な突破口を見いだすという、現在の研究手法につながっております。先生のご慧眼に感謝しております。
    他の先生方が研究関心やテーマを継承しておられる中、私は「人前に出たら笑いをとるという姿勢」だけを受け継いで(笑いをとれるとはいってない)、日々がんばっております。遠からずそちらに参りますので、またどうかご指導ください。よろしくお願いいたします。

  9. 辻本健二 より:

    所属: 公益財団法人関西生産性本部

    ご一緒した最初のプロジェクトは「ミドルが書いた日本の経営ー和英対訳」(日本経済新聞社)です。1980年代は、ジャパンアズナンバーワンと言われた時代で、海外駐在の人たちから、「なぜ日本の経営が上手くいっているのか教えて欲しい」と聞かれることが多いのだが、上手く説明できない、テキストがないかとの要請があり、それに応えるために、加護野助教授にリーダーになってもらい、関西の主要企業のミドルや労働組合のリーダーからなる専門委員会を設置しました。なぜ上手くいっているかというようなことは、委員にもわからないので、実際現場ではどのようなことが行われているのかを説明することにしようと、2年間に20回以上の会合を重ねました。英訳は久保田鉄工の岡田晴雄さんと神戸大学のクリフ・ゴールストン講師にやっていただきました。出版記念を兼ねて「訪米経営戦略調査団」を編成、委員が参加できるように、委員派遣会社に働きかけましたが、参加できたのは加護野助教授と積水化学の村山国際事業本部企画管理部長と事務局の私だけでした。団長の松下電器の原田副社長は、ニックネームをつけるのが得意で、加護野先生はProfessor3S。Sience of Standing Sleepです。訪問先の説明を、寝ながら、立って聞いていたことに原田団長が気づいたのです。帰国後、訪問先の3Mでの新規事業創造にヒントを得て、これも加護野先生にコーディネーターになってもらい「社内起業家塾」を立ち上げました。思い出は尽きません。感謝、感謝、感謝です。安らかなご永眠を 心からお祈り致します

  10. 森直哉 より:

    所属: 神戸大学大学院経営学研究科

    ご冥福をお祈り申し上げます。
    いつもそうなのですが、加護野先生の語り口は、大御所の落語家の語り口に近いものがあったと感じています。聴く者を飽きさせない話でした。
    あるとき、私がMBA教務委員の立場で運営したコロナ禍下のオンライン・イベントでしたが、加護野先生からご講演をいただいたことがありました。
    持ち時間をオーバーしていましたが、先生の話がなかなか終わらず、しかし、進行上の都合でどうしても私が腹を括って止めなければならないことがありました(これは実に損な役回りだと思います)。
    ある先生からは「本当はもっと加護野先生の話を聞きたかったなぁ」と後から言われたものですが、私だって「そら、そうよ」と思ったものです。
    止めないほうがよかったのではないかと、あれこれ思い返して今さらながら悩みます。加護野先生、申し訳ありません。

  11. 角田隆太郎 より:

    所属: (元)名古屋市立大学

    私は社会人を経て大学院に入学し、後期課程で加護野先生の研究指導をしていただきました。当時加護野先生は助教授で私が最初の大学院生だったのですが、当時、先生は気鋭の経営学者で、企業へのヒアリングなどに連れて行っていただきました。成熟企業の研究をしておられたとき、野中先生と加護野先生が新日鉄に行かれたときに同行させていただいたのですが、粗鋼生産量のピークがたしか74年で、ヒアリングに行ったのが87年頃だったと思いますが、先生が「74年がピークだというのにいつ気が付きましたか?」と質問して、副社長がまだピークとは思っていませんと返答されました。この話が、「企業のパラダイム変革」(講談社現代新書)と「組織認識論」(千倉書房)になるのですが、この本の原稿の段階から見せていただいて、いっしょに議論を重ねて、本としてまとまっていく段階を共有させていただいたのは、最高の研究指導だったと思います。
    当時先生は、大学の近所にお住まいで、先生の印鑑をいただくためにご自宅に電話しましたが、奥様から「現在そちらに進行中です」とおっしゃられて、すぐに来られましたが、あのときはご自宅におられたのかなと思っていました。文献を読むだけでなく、現場をしっかり見ることを後ろ姿で教えていただきました。ありがとうございました。

  12. 三木 俊和 より:

    所属: ファミリービジネス

    知の巨人の加護野忠男先生いろいろと人生を語ったこと懐かしいです。楽しかったです。異論を唱える同世代の私に是非、東京の学会に行こうと誘ってもらいました。でも固辞したこと悔やんでいます。
    「まなびすと」の私と真剣に接して戴き有り難かったです。多くの気づきを戴きました。有難うございました。感謝申し上げます。
    もっと議論したかったです。また議論しましょう。待っていて下さい。 合掌

  13. 北川 晋一 より:

    所属: 大阪大学大学院医学系研究科

    私は神戸大学MBA修了生(2008年:栗木ゼミ)です。加護野先生に初めてお会いしたのは入学前のイベントでした。先生は大阪弁で、会場をドカン!と笑わせ、まるで「漫談」と錯覚する雰囲気が印象的でした。入学後も修了後も、可能な限り先生のご講演には伺いました。高商がまず神戸に決まった経緯、日本一の住吉村、舌三代の話等、本当に色々教えていただきました。そんな私が一度だけ、直接、先生にフォーラムの基調講演をお願いしに伺ったことがあります。先生は「どうしようかな・・・」と考えておられました。「また追って詳細を」とその場を失礼しました。しかしながら、個人的事情でその後のご連絡ができず、現在に至ってしまいました。そのご無礼をお詫び申し上げようと何度か模索しましたが、残念ながらかないませんでした。今更ながら本当に申し訳ございませんでした。何卒ご容赦ください。「懐徳堂は世界最古のビジネススクールであり倫理を教えていた」「臆することなく規範的研究を」私は全く大した人間ではないですが、先生のお言葉を胸に刻み、微力ながら頑張る所存です。これまで本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

  14. 北村禎宏 より:

    所属: 有限会社KBC 代表取締役

    94年入学の社会人院生です。1年でMBAを取得するモルモット年度でしたが、その後1年半に収斂したことは私たちの代が失敗作であったことの証左?(笑)。在学中はもとより、修了後の多くの機会を通じて加護野先生語録は増え続けました。最も印象に残っているのは「嘘はついてもだますことなかれ」という「江戸秘伝職養道のすすめ」(佐藤六龍)を出典とする教えです。水槽に飼っているカマスに餌をやるとき、間を透明なガラスで仕切っておき、餌が食べられないことを学習したカマスはガラスを取り出した後も餌に食い付かなくなるという話しは、多くの方が聞いたことあると思います。まるっきり嘘の話しだけど、部長クラスを前にした講演で披露し、あほなカマスやと笑っているあなたが会社でこのガラスになっているのですよと、ど真ん中から突き刺すことは騙していることにはならないと高笑いされていました。そもそもカマスは水槽で飼えません。國部先生の問いかけにレスします。ヨーロッパ古語でmanは手を意味し、そこから馬を手懐けるに繋がったところまでは事実で、妻の部分は加護野先生が得意とされた一流の創作落語では?というのが私の仮説的見立てです。

  15. 小高 久仁子 より:

    先生には、どれだけお世話になったか言葉にできません。

    最初に先生にお会いしたのは、たぶん先生が40代のころで、先生が何かの司会をされていたセッションでしたが、
    明るいオーラがあふれていらっしゃいました。ぜひこの先生に大学院のことを、ご相談したいと思いました。

    私がもう少しで博士をという時に、先生が倒れられました。
    あの時は、どうしようかと思いましたが、その後
    お元気にお戻りになり、本当にうれしく思いました。

    私が博士号を取得後も、ゼミに参加させていただいたり、思い出がたくさんあります。
    先生のコメントはいつも大変興味深く、本当に勉強になりました。

    ということで、ありし日の先生の元気なお姿をとてもなつかしく思っております。

    心からご冥福をお祈りいたします。

  16. 吉村典久 より:

    所属: 関西学院大学

     当方と加護野忠男先生の関係は、1991年春の研究室入りにさかのぼります。博士論文でお世話になったり、教科書を一緒に編ませて頂いたり、ビジネスパーソン向けの研修でご一緒したり、あるいは、何週間も(奥様もご一緒に)スペイン珍道中をさせて頂いたり、、、本当に長い時間をご一緒させて頂きました(そのおかげで「名言」だけでなく、ここには決して書けない数々の「迷言?」も、、、書きたいのは山々ですが、やはり決して書けません)。
     先生からは本当に多くのことを学ばせていただきました。世の常識などを「ほんまか」という視点で見る大切さ、分析や議論の結果が本当に腹落ちするものか、「ふにおちるか」の大切さなどなど。常識に流されやすい自分、表面的な分析や議論で終わってしまう自分にとって、「ハッ」とさせられることばかりでした。先生は、こうした「ほんまか」「ふにおちるか」などの視点の大切さを、独特の話術で大爆笑をとりながら世に伝え続けられた研究者(兼 経営漫談家)でいらっしゃいました。まだまだ、書きたいこと(そして書けないこと)は本当に山のようにあります。
     加護野先生が安らかに眠られますようお祈りいたします。

  17. 鈴木 竜太 より:

    所属: 神戸大学大学院経営学研究科

    ゼミ生ではないにも関わらず、大学院時代から最近まで本当にたくさんの鋭いコメントやユーモアのある言葉、面白いエピソードや話を聞かせていただきました。拙著「関わりあう職場のマネジメント」が賞を受賞した際には、「まだちゃんと読んでないが良い本だった」と言っていただいたあとに「(薄い本で受賞とは)コストパフォーマンスのええ本やな」と、先生らしい言葉で褒めて?いただいたことを思い出します。そしてたくさんの言葉や話と同時に、いくつかの「こういう研究をしてほしい」との研究の宿題もいただきました。なんとかこれから宿題に応えるようがんばっていかねばと思っているところです。先生、本当にありがとうございました。

  18. 広瀬雄樹 より:

    所属: 積水ハウス株式会社

    [加護野先生の名言]
    加護野先生は長らく弊社のCSR委員を務めていただき、アカデミックなアドバイスだけでなく、多くの企業の経営支援に携わったご経験から興味深い実例・エピソードを頂戴いたしました。弊社から社用車でご自宅までお送りしたことも何度かあり、車中でご一緒した時間は本当に貴重でした。
    今でも鮮明に記憶していて、クスッと笑える事例をご紹介いたします。
    ・神戸の本当の金持ちはエアコンというケチなものを自宅に設置しない。六甲山上からパイプを敷設し、山上の冷気を楽しんでいた。
    ・犯罪人が車で高速道路を逃走中との情報を得て、パトカーが探していたが、犯人の車はすぐに判明した。1台だけが法定速度を遵守し、おとなしく
     目立たないように走行していたのだ。
    本当に残念です。衷心よりご冥福をお祈りいたします。

  19. 木田聖子 より:

    所属: 株式会社チャイルドハート 代表取締役

    2000年に立ち上げたベンチャー企業であるチャイルドハートに、いつも多様な視野で貴重なご助言や、ご指導いただき、ありがとうございました。
    先生のお言葉は、経営のたくさんのヒントになりました。
    これからも、空の上から、いつもの優しい笑顔で、会社を見守っていてください。

  20. 國部克彦 より:

    所属: 神戸大学大学院経営学研究科

     私は1995年に神戸大学経営学部に赴任して間もないころ、加護野先生が主宰されるビジネスマンのための朝食会での講演を頼まれたことがあります。ホテルの豪華な朝食を前にして、どれから手を付けようかと思っていると、隣の加護野先生が「(ご飯の)お代わり!」と言われたのを聞いて、この先生には勝てないと思いました。
     加護野先生からは多くのことを学びましたが、特に印象に残っているのは、経営学(management)の語源は「馬と妻を飼い馴らすこと」というものです。どちらも非常に飼い馴らしにくいものを、飼い馴らすには相当な技術が必要で、それがmanagementの語源であるということは、経営の根本を示していると感銘を受けました。
     最近はジェンダーの問題もあるので、私がこの言葉を紹介するときは、女性から見たら「馬と夫を飼い馴らすこと」と付け加えていますが、妻と夫では飼い馴らす難易度が違うはずなので、加工しない方が良いかもしれないと感じています。しかし、managementの語源を自分で調べても「馬」を飼い馴らすところまでは文献から出てくるのですが、「妻」の部分は見つけることができません。ご存じの方がおられたら是非教えてください。

  21. 服部泰宏 より:

    所属: 神戸大学大学院経営学研究科

    在外研究中のハノイにて、訃報を耳にしました。
    その時は、驚きを禁じ得ませんでした。正直に言えば、今もまだ、実感を持てないままです。「高校時代に通っていた学習塾のパンフレットで先生のお名前と共に経営学という学問の存在を知ったこと」「組織認識論を読んだ時の衝撃」「私たちが書いた学術書籍に書評を書いてくださったこと」など、書きたいことは山ほどありますが、1つに絞りたいと思います。
    私が大学院生の頃、先生が担当されていた科目の学生さんを対象に、私の博士論文に関わるアンケート調査をさせていただいたことが、先生との最初の直接的なやりとりでした。「従業員と組織の間の心理的契約」に関わる調査だったのですが、その内容をMBAの学生さんたちに説明するにあたって先生は、「神戸洋菓子産業における取引ネットワーク」の話からはいり、「取引業者間で共有されている不文律」の話へと展開し、最終的に、「日本企業を支えていたのは、(雇用者と従業員を含めた)人と人との間の書かれざる契約である」というように話を着地させておられました。「心理的契約」という言葉など聞いたことすらなかった受講生の皆さんですが、気づいたら、この概念の良き理解者であり、調査への積極的な協力者へと変貌していました。現実と理論とを瞬時に結びつけ、かつそれを、聞く人の心に響く言葉やエピソードへと、笑いを交えつつ変換する、一流の研究者の仕事を見た瞬間でした。
    心より、ご冥福をお祈りいたします。

  22. 三矢 裕 より:

    所属: 神戸大学大学院経営学研究科教授

    私は学部で加護野先生、大学院で谷武幸先生のゼミに所属しました。博士課程では、加護野先生のご紹介で京セラのアメーバ経営を研究しました。1999年、二人の恩師との共著で『アメーバ経営が会社を変える』という本を出版できました。これは私にとって最大の喜びです。
    その2年前、私の最初の単著論文について加護野先生と相談しました。「アメーバ経営によるエンパワメント」で書きたいと伝えたら、「アホか。アメーバ経営という謎のものを、エンパワメントいう謎の外国語で説明しても誰もわからんで。日本語で言え」と叱られました。私が「権限移譲は?」と尋ねたら、加護野先生からは「それは中国語や。大和言葉で言え」。あれこれ案を出し、「任せる」でやっとOKいただきました。
    加護野先生の文章や講演は誰にもわかりやすく、心に真っすぐ入るし、メッセージはいつまでも残ります。私たちはついつい格好つけて最新の概念や流行の言葉に飛びつきますが、そうじゃないんですよね。その言葉、言ってる本人も本当はわかっていません。今では私も加護野先生を真似て学部生やMBA生に「大和言葉で言え」をやっています。伝えるとはそういうこと。一生モノの教えをいただきました。