地理的分散が株主価値に与える影響 -大震災を自然実験とする製造業を対象とした実証分析-

2025・07

要約

本論文の目的は,企業の地理的集中度(地理的分散度の逆数)が株主価値に与える影響について,東日本大震災を外生的ショックとした分析を行うことである。地理的分散はキャッシュフローの平準化やサプライチェーンの維持などの便益をもたらす一方で,スケールメリットや知的波及効果の低下,さらには,サプライチェーンの混乱などのコストも伴う。そのため,投資家が企業の地理的集中あるいは地理的分散の程度をどのように評価するのかという点を明らかにすることは興味深い論点である。本論文では,2003年度から2019年度までの東証1部上場のすべての製造業に関して,有価証券報告書の「主要な設備の状況」に記載のある主要事業拠点の住所情報等を手入力により取得することで独自データベースを構築し,企業の地理的集中度の指標として,主要拠点の都道府県間のばらつきをもとに計算されたハーシュマン・ハーフィンダール指数(HHI)を測定する。その上で,日本の上場企業(製造業)を対象として,企業の地理的集中度が時価簿価比率に与える影響を実証的に検討する。実証分析の結果,企業の地理的集中度が高い(すなわち地理的分散度が低い)ほど,時価簿価比率が高くなる傾向が確認された。これは,日本の製造業において,地理的分散によるリスクマネジメントの効果よりも,事業拠点の集積によるメリットのほうが株式市場で高く評価される傾向があることを示唆するとともに,地理的な多角化ディスカウントの存在を確認するものである。他方で,東日本大震災の発生後にはこの関係に変化が見られ,地理的分散の価値が株式市場で評価されるようになった可能性が示された。また,地理的分散が企業価値に与える影響が状況によって異なることを示す証拠も確認された。具体的には,予防的貯蓄としての現金保有が少なく代替的なリスクマネジメントが不十分な水準にある企業や,株式市場からの規律付けが弱い企業において,地理的分散の便益が市場に認識される傾向が確認された。また,成長機会が限られている企業において,地理的分散の市場評価がより高まる傾向も見られた。これは,成長機会が少ない企業にとって,事業の安定性の確保がより重要であり,災害などの偶発的リスクを軽減する手段として,地理的分散が有効な戦略と評価される可能性を示唆するものである。

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神谷 信一

柳瀬 典由

山﨑 尚志

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