キャリアの常識の嘘
著者名 | 金井壽宏 高橋俊介 |
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タイトル | キャリアの常識の嘘 |
出版社 | 朝日新聞社 2005年12月 |
価格 | 1300円 税別 |
書評
どのような常識にもほんとうにそうかなと疑うことがときにおありでしょう。本書は、キャリアについて常識と思われていることに対して、ふと抱くような疑問について、共著者ふたりそれぞれの観点から、それぞれにメスを入れていく対話の試みです。同時に、読者を巻き込み、読みながらご自分の意見を持ってもらえれば、仮想鼎談のようにもなるでしょう。取り上げた常識に関わる問いが具体的にどのようなものだったかについては、以下にあげている目次をご参考にしてください。
キャリアについてはこれまでも 4 冊の本を書き、大学でもキャリアのセッションを含む講義をし、いろんな企業や団体でキャリアに関する研修や講演なども行うために、いろんな質問をその都度受けます。特に、キャリアというのは特別なひとの問題と見るのは間違いで、実はみんなの問題です。だから、キャリアについては、わたしが興味を持つほかのテーマ以上に、いろんな機会に質問されることが多いです。
大学の学部教育における経営管理の 13 回の講義の中でも 1 回半、キャリアについて取り上げていますし、社会人 MBA の組織行動論でも 2 回分のセッションをキャリアにあてています。 MBA のクラスでは、リーダーシップ開発を論じるときにも、それをキャリア発達上の仕事経験(リーダーシップを身につけるうえで有益だった「一皮むける経験」)と関連づけながら、ディスカッションを重ねてきました。
就職活動のときに迷った学生や、博士後期課程に進学するか就職するか選択する院生の中には、わたしの前著 『働くひとのためのキャリア・デザイン』 ( PHP 新書)を読んで参考になったと言いつつ、ふらっとわたしの研究室に相談に来る学生さんもいます(わたし自身はキャリア・カウンセラーではないのですが)。 MBA 院生の方々と、キャリアの節目にはどのようなものがあるかじっくり話し込んでいると、興味深いことに、必ずと言っていいほど、「今、こうやって社会人になったあと、また大学に戻っているのは節目をうまくくぐるためです」と述べるひとが何人も出てきます。「節目だと思ったから、思い切って MBA にきたのです」というひともいます。
この本の共著者の高橋俊介さんも、わたしも、自らキャリア・カウンセリングのプロではないのですが、こんな具合にいろんな相談を受けますし、いろんなタイプのキャリアの調査研究やキャリアにまつわる研修を実施してきました。それらの経験を通じて、いくつかの問いかけるべき問題があることがわかってきました。繰り返し遭遇する問題もあります。
たとえば、よく考えた末に、コンピュータ会社に SE として入ることになっているのに、 SE という仕事に向いているのかどうかわからないという声、さらにしっかりしたひとほどそう思いがちなのですが、 10 年先の自分が明瞭に描けないので困っているという声などを、まじめで熱心な学生からも、よく聞きます。でも、仕事に向いているかどうかは、その仕事の世界に入ってみないとわからないし、 10 年後の自分は、後に(いい意味で)「おおばけ」するひとでも、事前に描くのは難しいはずです。キャリアとは、ほぼ人生に重なるほど、いきの長い話ですので、その途上でわからないことがいっぱいあっても OK ですが、それらをうまく考えるための思考法や概念がありますので、それに早めからふれておいたほうがよいでしょう。問いに答える形で、この本ではそういった考え方というものを披露しています。
たとえば、向いているかどうかわからない、 10 年後の自分がわからないというひとには、自分の内なる声を聞くことと、周りからの期待もまったく無視せずにそれにも耳を傾けることと、ある程度それができたら、歩み始めることが肝要です。長く迷っているひとには、キャリアをしっかり計画しないといけないなどというよりも、だいたいの方向さえ決まれば、あとは悩むより歩み始めるように後押しするのがいいと言われています。
こういうときに、いくつかのキャリアの諸研究からあがってきたキーワードを知っていると便利なはずです。
たとえば、大まかな方向を決めれば、あとは元気よく歩む限り、偶然がいっぱい助けてくれるものだという「ハップンスタンス・アプローチ」(ジョン・クランボルツ)。 Luck is no accident というのがクランボルツの標語(彼の新著のタイトルでもあります)で、このアプローチは高橋さんのお気に入りです。わたしも、この考えの大事さと、有用さを、高橋さん、そしてクランボルツ先生から直に学ばせてもらいました。ここでは、「偶然が味方」、「(悩みすぎるより)行為が大事」という発想が鍵となります。
他方で、いろいろ試しに行動しているものの、どうも違和感がずっと長らく拭えないままだというひとには、自分の内なる声を聞く必要の方が大きいかもしれません。そこでは、キャリアの拠り所という意味での「キャリア・アンカー」(エドガー・ H. シャイン)というアプローチが鍵を握ることになります。わたしは、この考えを、 MIT (マサチューセッツ工科大学)時代の恩師、シャイン先生から直伝され、大きく影響を受けました。毎年のことですが、わたしの学部ゼミ生には、 20 年以上仕事をしているひとに対して、キャリア・アンカーを探るインタビューを実施してもらっています。インタビューの相手として、よく父親が選ばれますが、インタビューを受けた父さんも、インタビューをした倅もしくは娘もともに、キャリアを振り返り展望するいい機会となったと言ってくれます。
クランボルツとシャイン。この両方のアプローチは両立可能ですが、合わせる焦点がずいぶん違っています。「おおらかに歩めばキャリアなんてだいたいなんとかなるんだよ」というクランボルツがスタンフォード大学(カリフォルニアのパロアルト)で、「自分の拠り所をキャリアの節目ではしっかり見つめよう」というシャインが MIT (マサチューセッツ州のボストンのとなりのケンブリッジ)なので、慶応大学で高橋さんの同僚の花田光世先生は、ハップンスタンス・アプローチを、レイドバックな(お気楽な)西海岸派、キャリア・アンカーという考えを、考えすぎでスノッブの東海岸派と見事に対比されたことがあります。
このようにキャリアについては、実はいろんな見方があり、両立可能なところもあれば、焦点のずれがあったり、多様な見方のうちどれが大事になってくるかは、時代、本人の持ち味、そのひとがくぐっているフェイズによって違ってきます。キャリアは生き方にまでつながるテーマですので、本書のひとつひとつの問いに、これが正解という明快な答えがひとつあるわけではありません。そのことにがっかりするよりも、そのことを楽しんでください。
キャリアにまつわる特定の通念や常識を、痛快に、これはあっている、これはまちがっているとか、ばさばさ切っていくような痛快さは、この本にはありません。たとえば、この本と同じシリーズの『宗教の常識の嘘』を読めば、たとえば、「仏教は世界 3 大宗教のひとつだ」という常識は間違いだとか、はっとする切り口が目立ちます。
それに対して、この本の特徴は、ふたりの著者が、根っこでは共通の認識を持ちつつ、キャリアについて微妙に異なる見方をもっているがゆえに、キャリアについて日本に流布する常識に挑戦する際にも、多様な視点を重視しています。
キャリアをデザインしなさいというのは、キャリアの常識の嘘だと、ずばっと言いたいところですがそうはいきません。キャリアなんかデザインしなくていいと断言できないのです。皆さんには、むしろそのことの機微を深く捉えつつ、自分はどう思うかを絶えず考えながら読んでください。一方では、キャリアのデザインは節目だけはしたほうがいいとわたしは信じます。他方で、節目と節目の間は、ハップンスタンス(偶然)を味方にして、元気に歩めばいい。こんな具合に、ふたりの共著者の視点が、複眼指向を読者にもたらすことになっていたら、うれしいことです。
安易な一つだけの正解にとらわれるよりも、深く考え元気よく行動する素材がこの小さな書籍ですが、いくつか見つかれば、うれしいです。
目次
Q1 キャリアは計画しデザインするものだろうか
Q2 職種が自分に合うことが重要だろうか
Q3 流されるようなキャリアはだめなのだろうか
Q4 変化に適応することが成長だろうか
Q5 キャリアを築くにはわがままが必要だろうか
Q6 よいキャリアの条件とは何か
Q7 キャリアの節目はどうマネジメントすればよいか
Q8 夢や目標があるから頑張れるのか
Q9 キャリアには一貫性が必要か
Q10 キャリアに勝ち負けはあるのか
Q11 過去のキャリアから何を学ぶべきか
Q12 キャリアは一人で作るものだろうか
Q13 好きなことをやっていればいいのか
Q14 成長や発達はどうすれば継続できるのか
Q15 リーダーはいかにして成長すべきか
Q16 プロフェッショナルに求められるものとは
Q17 キャリアにとって忠誠心はプラスになるか
Q18 部下の育成は上司が計画し実行すべきか
Q19 仕事とプライベートははっきり区別すべきか
Q20 キャリアにおいてお金は重要か