語りと騙りの間―羅生門的現実と人間のレスポンシビリティー(対応・呼応・責任)
著者名 | 金井壽宏 森岡正芳 高井俊次 中西眞知子 編著 |
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タイトル | 語りと騙りの間―羅生門的現実と人間のレスポンシビリティー(対応・呼応・責任) |
出版社 | ナカニシヤ出版 2009年3月 |
価格 | 3000円 税別 |
書評
語り(ナラティブ)というのは、興味深い研究素材です。これに関心をもっている研究者は経営学者のなかにもいます。経営者の語りは、それ自体が、経営学の発展のためにドキュメントにする価値があります。そのような特別なひとでなくても、キャリアの研究では、経営学のほかのトピック以上に、語りが大切にされてきました。金井研究室でもそういうアプローチからの博士論文があり出版もされています(たとえば、加藤一郎『語りとしてのキャリア―メタファーを通じたキャリアの構成』白桃書房、2004年など)。わたし自身もまた、リーダーシップの研究やまた実践のなかでも、語りに注目することが大事だと思ってきました。語りが紡ぎ出す物語(ストーリー)、そして、語り部(ストーリーテラー)としてのリーダーの役割が、組織全体を引っ張る経営者や経営幹部にも、新機軸を打ち出すイノベータならミドル・マネジャーにも求められます。それらの語りは、社長や会長の場合については、神戸大学ゆかりの現代経営学研究所の機関誌『ビジネス・インサイト』のトップ・インタビューのなかにみることができます。
このような取材以外でも、純粋にアカデミックな調査やあるいは研修の場で、すぐれたリーダーあるいはイノベータとして、大きな絵の実現のために大勢を巻き込むリーダーシップを発揮してきたひとの一皮むけた経験に耳を傾けておりますと、キャリアにも物語があり、それに支えられたリーダーとしての物語があることがわかります。後者は、夢が実現していくにつれて、次世代まで語り継がれるビジョンとともに、物語の素材となっていくことも多いです。いちばんよく知られた事例としては、元世銀のIT部長だったステファン・デニングは、変革の跳躍台として、物語を用いて、世銀を「ナリッジバンク」に変容させようとしました。その経験から、リーダーシップの物語アプローチという分野を切り拓きました(そのまま、変革を続けるのではなく、コンサルタントになり、著述家になる点が、アメリカ的すぎて情けないですが)。それにしても、そういう動きにも興味をもっていたときに、ステファン・デニングの興味ある共著の邦訳が出たのには喜びました(『ストリーテリングが経営を変える――組織変革の新しい鍵』(同文館出版、2007年)。その翻訳者のひとりである高井俊次さんが、イニシャティブを取って、今ご紹介させていただいている、この書籍をプロデュースされました。編著者4名が一同に会した日は、ユング的にはまさにシンクロニシティでありました。そのへんのいきさつは、本書のあとがきに詳しいのでご覧ください。わたし自身は、そのときまでに、語りや物語にかかわるリーダーシップ論、組織論について、2、3論文も書いてみたり、また、高井さんたちが訳したデニングたちの書籍の書評をしたり、また、最近では元々、物語アプローチに造詣が深い松岡正剛さんと関係性のなかのリーダーシップについて対談をしたりしてきました。そんな折に、それでも、わたしたちの経営学分野では、ナラティブ的な研究が、なかなか本格的には深まらないとも思っていました。それは、そのまま放置したくない残念な状態でした。そこで、いろんな分野の人びとと共同で、語りについての書籍を編集し、自分もそこに1章寄稿させてもらうことにしました。
この紹介の冒頭でも披露されている目次からもおわかりのように、本書では、内容的には、心理療法、看護、演劇、リーダーシップ、叙事詩、高齢者、地域ブランド、建築家、企業の不祥事にかかわる語りがとりあげられました。内容もアプローチも多様ですが、序論で、羅生門効果(マルティプルな現実)という視点、終章である第10章では、ポストモダンの社会学における再帰性の問題が議論されています。わたしには、けっして書けないほどに、格調高いです。ひとつひとつの章の要約は、ここではいたしませんが、経営学のような応用分野に生息するわたしのような人間にとっては、誠に新鮮な各章でした。心理療法の場では、客観的現実よりも物語のほうが迫真性をもつという指摘、患者と家族の語りを聞くと同時に自らも言うべきは語る必要のある看護の世界の捉え方、原点において「語り芸」「語りもの」である芸能のなかでの演劇の位置づけと明治期の朗唱・朗読の「語り」文化の衰退(それへの危惧)、リンカーンやキング牧師にみる大きな夢の語りとしてのスピーチの考察(これは、金井の章です)、同じ英雄(チンギス・ハーン)を複数の日本人作家が捉える叙事詩的視点、加齢するにつれて人びととのつながり(道づれというテーマ)がより強く意識される高齢者の語り、小堀遠州ゆかりの備中高梁における地域の再発見と地域伝統の継承、隠喩的なキーワードによる語りと実際につくられるモノとの間で創造する建築家(特に、伊東豊雄氏)、企業不祥事における拒否・受入・回避の語り(ディスコース分析)、認知的再帰性・美的再帰性・現象学的再帰性・社会的知的無意識の再帰性が揺らぎ変化するなかの語りとアイデンティティ形成についての理論的考察。要約を拒むほどにいずれも濃い各章です。そんななかで、アマチュアっぽいわたしの章は浮いてしまいますが、それはご容赦ください。書籍全体がもつ重みがあります。
わたし自身は、寡聞にして(恥ずかしながら)、だます(漢字では、騙す)という意味合いで、<かたり>という言葉があり、その漢字もまた、<騙り>であることに驚きましたが、いったん気がつくと、けっこう目にします、この漢字。振り返ると、編著者のなかのチーフである高井さんに、「ところで、本のメインタイトルの『語りと騙り』というのはなんて読むのですか」とわたしがお聞きしたところの、回答が、「かたりとかたり」というお返事だったのです。驚くと同時に、自分の無知を恥じ、同時に、かたりにだますという意味があることに衝撃を受けました。そのことは、キャリアの語りとリーダーの語りを今後とも研究し続けたい、できれば両者を関連づけて深く研究したいと思っている自分にとって、目から鱗でした。キャリアの語りのなかにも、欺瞞的な騙りが潜むことがあり、歴史をみても、ヒットラーやチャールズ・マンソンなどの名前を挙げずとも、リーダーが語る言葉は、実は騙りだったことはしばしば目撃してきたことでした。そういう暗黒面を意識しないと、本当に深くは理解できない組織行動の機微があると思われます。ポジティブだけのポジティブはノーテンキで、こういう暗黒面、どろどろしたところまでみないと、社会や組織や集団のなかでの人間を深く理解できません。
これから少なくとも10年は、わたしは、ポジティブ心理学を応用したポジティブ組織行動とポジティブ人材マネジメントを深掘りしたいと思っていますので、語りと騙りが、おなじ響きの言葉であることを心していきたいです。ノーテンキなポジティブではなく、深みのあるポジティブをめざすために。そんな中で、この一冊が出たことをうれしく思っていますが、願わくは、語りと騙りの間に深淵も、また繋がりもみたいと思う方々は、手にとっていただき、ご批判をいただければ、ありがたいことです。
目次
第1部 語りが生みだす「ともに生きる世界」
第1章 語りと騙りの間を活かす―セラピーの場で―
第2章 看護師に内在する語りと傾聴の様相
第3章 演劇と語り―声と身体の共振・共酔の世界―
第2部 語りを可能とする仕掛け
第4章 リーダー人物の語りとリーダーシップ現象の時空間―世代継承的夢の語り―
第5章 叙事詩の語り口―日本人が「語る」チンギス・ハーン―
第6章 語りと成熟の仕掛けとしての地域社会―中高年におけるコンボイの形成と自己の語りなおし―
第3部 実践のなかの語り
第7章 地域ブランドと「語り」―「語り」が地域で果たすもの―
第8章 建築の創作における語り
第9章 言葉のなかの倫理的なまなざし―組織の語りと不祥事―
第10章 語りと再帰性―語りから社会・制度へ 社会・制度から語りへ―