書評:Takeshi Inagami and D. Hugh Whittaker 著, The New Community Firm: Employment, Governance and Management Reform in Japan

要約

本稿は、Takeshi Inagami and D. Hugh Whittaker、The New Community Firm: Employment、 Governance and Management Reform in Japan (Cambridge、 UK: Cambridge University Press、 2005、 xii+282 pp.)の書評をディスカッション・ペーパーとして公刊したものである。

評者は、経営学部生を対象とした人的資源管理論の講義のなかで、日本的経営のいわゆる「三種の神器」について説明する際、「日本的経営という言葉は最近ではほとんど使われず、死語のようになってしまったが・・・・・・」という“枕詞”を付けることにしている。1980年代、アメリカを初め世界中から高業績を達成するシステムとして注目を集めた日本的経営は、長引く不況による日本企業の業績低迷とともに、ポジティブな文脈において語られることがすっかり少なくなった。評者の理解では、日本的経営が高業績を達成しえたメカニズムの根底には、敢えて細部を捨象し大胆に要約すると、従業員という人的資源を大切にする日本企業の哲学と、それを基礎にした日本企業社会特有の共同体的特性(本書でいうcommunity firm、共同体としての特性を有した企業という意味で、以下「企業共同体」と称す)が存在していたはずである。しかし、バブル崩壊後の日本企業の業績低迷は、移り気なアメリカ企業には、日本的経営がやはり時代遅れのシステムである何よりの証左であり、80年代の日本企業の活躍はほんの一時的な栄光に過ぎなかったと映ったようである。実際、90年代初頭には、日本でもアメリカでも、アメリカ企業のやり方こそが正統であり、「グローバル・スタンダード」なのだとする見方が広く一般に流布するようになった。

しかし、このような誰がみてもあまりに安易な一般論に対し、アカデミックな関心から日本企業の真の変化の実態を実証的に明らかにしたうえでの反論は、意外にもこれまでほとんどなされてこなかったといってよい。稲上毅教授とD. Hughウィッタカー教授の手による本著は、この学問的間隙を埋めようとする極めて野心的な試みである。日本企業における従業員共同体の実態がどのようなものであるか、また今後も、日本企業がかかる共同体的特性を(部分的に修正しつつも)いかに維持し続けるかについて、かつてR.ドーアがその古典的名著『イギリスの工場・日本の工場』において調査対象企業として取り上げた日立製作所のケースを再び例に取り、精巧かつ緻密に分析することに成功している。通説では、バブル崩壊後、日本企業の企業共同体的特性はみる影もないほどに崩壊し、アメリカ型市場主義の方向へと大きくシフトしたと安直に理解されることが多いが、本当にそう断定してよいものかどうかという一点に徹底的にこだわり、数年間にわたる緻密な実態調査と分析を経てようやく上梓されたのが本著である。雇用慣行、コーポレート・ガバナンス、企業内労使関係、従業員の意識・行動などに係わる豊富なデータで裏打ちされた本研究が導出した最も重要な結論は、「日本企業の共同体的特性は、部分的修正はみられるものの基本的には崩壊しておらず、むしろこの共同体的特性を維持し続けるために、日本企業は目下さまざまな革新、進化を続けている過程にある」とする、一般の通念とはかなり様相を異にしたものであった。かつて日英の工場比較に取り組んだ経験をもつ“日本通”英国人研究者・ウィッタカー教授と、資本主義の多様性という観点から、労使関係や雇用慣行、ガバナンス等の国際比較に取り組んでこられ、英国の経営・労働事情にも明るい稲上教授とが互いに手を携え、時間をかけて辿り着いた結論であるだけに説得力があり、かつ重い。

 本稿は、本書の各章における著者たちの主張を要約し、評者としての本書の評価、疑問点、未解明な論点などを提示しようとしたものである。

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上林憲雄

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